サガムウ前提のシャカ×?+ムウ。直接的な性描写はないですが一応R18です。
サガファンの閲覧要注意!…です。ごめんなさい。この借りは次回。














When angels dance








   *   *   *





その墓地の裏手の丘は、滅多に人が来ない。
草は柔らかで木陰も多く、広すぎず快適だ。
土曜の午後、わたしは学校を終えると
ここで日暮れまで瞑想をしていた。


四月も終わる頃。
草むらにうずくまる人影を見た。
行き倒れであれば弔おうと近寄ると、子どもであった。
具合でも悪いのかといぶかしんだが、
ただ、泣いているだけのようだ。

しかしその様子があまりに身も世もないといったふうで
わたしは捨ておくことができなかった。
少し離れたところに坐すと、わたしは声をかけた。
「大丈夫かね」
その子どもは振り返り、わたしをじっと見た。
「何か助けが要るのなら言いたまえ」
わたしはなぜかそう発していた。
彼の子は、促されるようにこちらに歩み寄ると
わたしの膝に縋って、しばらくのあいだ嗚咽し、
そしてそのまま眠ってしまった。






   *   *   *





彼は名をムウといい、隣町の私立学校に通う、
わたしと同じ一回生であった。
ひどく頼りなく、弱々しく見えたのは最初だけで、
話してみれば随分と性根の座った子どもであった。
理に聡く、このわたしの話にもついてくるばかりか、
大人びた軽口をたたく。
その問答がひどく小気味良く、
わたしたちはすぐに心安くなった。

ムウが男児と知ってもわたしは驚きはしなかった。
その肩のあたりで揺れる髪と丸い雰囲気で、
少女であるかもしれないとも思っていたことは事実だ。
だが性別など、わたしにとってどうでもよいことであった。

魂の波長が合う、とでも言うのだろうか。
不思議なほどに、こころが安らぐのであった。
わたしが聞こえる神の声も、御仏の話も彼は、
からかいながらも疑いはしなかった。


はつなつの、風にそよぐ木漏れ日の中で
ひとしきり他愛もない話をすると、
ムウは決まって「眠い」と体を摺り寄せてくる。
そのすべすべとした柔らかい肌はほの甘く香り、
ともすれば過ちを犯してしまいそうだ。
しかしその胸苦しさも、一度嚥下してしまえば
やり過ごすことができた。

「そこ、空いてる?」
ムウはわたしが座して半時もしない頃にあらわれる。
「ひとりぶんしかないようだ。急ぎたまえ」
わたしが半跏に解くとムウはするりとわき腹を通過し、その座に収まるのだった。

かくしてわたしの膝の上はすっかり彼の寝台になっていた。
ムウの寝息を聞きながらわたしも緑色の風に意識を放す。
いつしかわたしは昼餉の時間も惜しみ、丘に向かっていた。






   *   *   *





六月になって最初の土曜。
いつものようにムウは現れたが、
その格好にわたしは少し戸惑った。

視域を閉じているためはっきりとは分からないが、
腿をあらわにした婦女子のような短いズボンにぴったりとしたベスト、
薄い半袖のシャツに膝下までの長い靴下をはいていた。
修行中の身にはいささか刺激に強い格好だ。
しかしこれも慣れてしまえば魂の入れ物として
意識から切り離すことができよう。
わたしは注意深く視覚を閉じた。
「暑い…」
そういいながらムウはネクタイを外した。
ならばそのベストを脱げばよいと言ったが
ムウは聞こえないふりをした。

「ねえ」
ムウがわたしを見上げる。
「甘えていい?」
そう言うと身を任せてきた。
じかに触れる肌の感触に気が散じたものの、
膝の上で眠るその重みとぬくさは変わらない。
わたしは安堵して髪を撫でた。
しかしその柔らかな唇がわたしの名を呼ぶこともなく
すみやかに寝息を立て始めたとき、わたしは少なからず落胆した。

「まったく」
わたしを何だと思っているのだろうか。
こちらは話をしたくてたまらないというのに。
わたしは訳もなく苛ついている己に気付いた。
今日はムウの体から、ほのかに人工的な香りがするからだろうか。
それがムウ本来の肌にしつこく絡み訳もなく不快だった。

「起きたまえ」
頬をつついても反応が薄い。
「ムウよ」
少し厳しく呼ぶとムウはようやくごろりと寝返った。
「うう…ん」
「話はしないのかね」
「本当に眠いの…ごめん」
そう言って背を伸ばした刹那、甘い汗の香りが漂った。





   *   *   *





気がつくとわたしは膝立ちになり、ムウを組み敷いていた。
「…シャカ」
ムウは驚いたようにわたしを見上げている。
だがわたしもすぐ下のムウの様子に動くことができない。
眩しいほどの白い肌。
髪も肌も何もかもが薄い色をしている。
流暢な言葉を操るというのにその瞳は新緑を映した湖水のようだ。
「君…目が…見えるんだ」
ムウに言われて初めてわたしは目を開けていたことを知る。
「ああ…」
なぜかバツが悪く、わたしはすぐに身を起こす。
「目が覚めたかね」
…ムウは思いのほか柔らかかった。
「驚いた。君っていったい…」
閉眼のことは別に隠していたわけではない。
しかし今ことさらにそれを言われたくはなかった。
「君こそいったい何のつもりなのだね?」
ムウの肌の白さが閉じた目に焼きついているようで、
つい声を荒げてしまう。
「…君となら眠れるから…」
そのような答えが聞きたいわけではない。
他の者と寝てもいるかのような口ぶりは何なのだ。
わたしはますます焦れた。
「君はだいたい何のつもりなのだ。わたしを試しているのか?」
「…シャカ」
悲しげな声音だ。
わたしはわけの分からない怒りで押し黙った。
同情を引くつもりか。
そもそもムウは、人にしては美しすぎる。
天使の顔をした悪魔なのかもしれない、とわたしはちらと思った。
「…修業の邪魔をするつもりはなかった」
ムウは背を向けて去ろうとする。
「待ちたまえ。君はわたしを何だと思っているのかね」
知り合って三月が経つというのに時折見せるよそよそしさに
わたしは苛立った。
ムウは黙って足をとめると振り返って言った。
「友だち」

言葉を失ったわたしを残し、ムウは去っていった。
「…ムウ」
わたしは何をしてしまったのだろう。
わたしの腕の中で、震える小鳥のように身を縮ませた
あの体に、わたしの理性はくらんだ。
修業が足りぬどころの騒ぎではない。
わたしは友を失ってしまったのかもしれない。

わたしの猛省を、御仏は慈悲を以って聞いてくださったが
心は晴れなかった。





   *   *   *




週明けて月曜の放課後、わたしはムウの学校を訪れた。
単純にムウに会いたかったということもあったが、
何より一言だけでも謝るべきだと思ったからだ。

そこの生徒らはムウと同じシャツにベストを着ていたが、
ネクタイと長ズボンを着用していた。

つまりあのけしからん格好はムウ一人なのだった。
いろいろな意味で「特別扱い」されている、とムウは自嘲していたが。
いったいどのような学校なのだろうか。

入り口でわたしはすぐ警備の人間に誰何された。
わたしは素直にムウの名を告げた。
その受付の男はそれを聞くとすぐさまどこかに連絡をとった。

ほどなくして白衣を着た長身の男が現れた。
人当たりのよい笑顔を浮かべてはいるが、隙がない。
白衣をまとっているということは理数系だろうか。
少なくとも医務員ではなさそうだ。
長い腕で冷徹に機器を扱うさまは容易に想像がつく。
「君はムウの何なのだ?」
なにか嫌なものを感じたわたしはとっさに真意を隠した。
「友だちです」
「そうか。ムウは確かに本学の生徒だが、ずっと休学している。
体が弱くてね。だからここにはいないのだよ」
「家は…」
「それは教えられない。力になれず、すまないね」
男はわたしの頭をポンと叩いた。
その刹那、かすかに漂った香りは、確かにあのときのムウと同じものだ。
わたしは礼を言うと、校門を抜けるふりをして構内に留まった。





   *   *   *




わたしは人の気配が途切れるのを見計らって、
廊下から校舎に忍び込んだ。
そのまま一階の教室に隠れて日没を待つ。
日が落ちると、町外れの校舎はすっかり闇につつまれた。
時折、非常出口の緑の光が見えるだけだ。

しかし暗闇などわたしにとっては意味のないものだった。
この建物に手がかりなどはなかったが、
あの男が消えていった方向ははっきりと覚えている。
何かがあるとすれば彼の男だ。
そのような直感はあった。


わたしは素足になり廊下を歩いた。
ときおり警備員が巡回している。
懐中電灯が揺れるたびにわたしは背を低くし物陰に隠れ、
猫背の男をやり過ごした。
中庭に面した廊下を伝い、一階、二階と一巡し三階に上がった。

奥の教室から、僅かな人の気配を感じる。
案内には理科実験室とかかれていた。
カーテンを引いているらしく廊下にかすかな光の線が見える。
わたしは身をかがめて近づくと隙間から室内を伺った。
なぜだか分からないが、そのときわたしは
ムウがそこにいると信じて疑わなかった。

はたしてムウは居た。
こちらからでは顔は見えないが、間違いはなかった。
しかし異様な光景である。
ムウは実験台の上に顔を伏せ、跪拝でもするかのような格好で
膝を立てうずくまっていた。
両手は後ろにくくられ、腰が高く上げられている。
上着は腕の付け根までたくし上げられ、
ズボンは膝まで下ろされて、半裸であった。

せわしなく肩が上下し、体は小刻みに震え、
ときおり苦しげにうめいてはその身を強張らせている。
ムウはわたしに気付いていないようだった。
わたしは注意深く廊下を這い、最寄の出入り口まで移動した。
扉に手をかけた瞬間、奥の部屋に人影が見えた。
わたしはすばやく身を潜める。
おそらく準備室であろうか、黒板の脇の扉が開き、
白衣のあの男が現れた。

男はムウにゆっくりと歩み寄り、背後に立つと
尻のあたりに手を差し伸べた。
「うあっ…あああっ…や…ああっ」
こちらからでは見えないが、急にムウが激しく身を捩じらせ、叫びだした。
まるで女子のような高い声だ。
わたしに甘えるときのようなあの少しかすれた声音ではない。
切羽詰った、ほとんど悲鳴であるのにその声は聞く者の心をひどくかき乱す。

男の大きな掌がふたたびムウの背に隠れた。
「い…や…ああ…っあっあああん」
ムウの腰ががくがくと痙攣しはじめた。
男はムウの尻をいとおしげに撫でたかと思うと、爪先でするどく弾いた。
「あっ…」
ムウの背が反り髪がさらりと揺れ、朱に染まった頬が見えた。
その刹那わたしは見てはいけないものを見たように思い思わず顔を伏せた。

「せ…先…生」
ひとしきり叫んだあと、ムウの声はようやく言葉になった。
「どうなのだ…欲しくはないのか?」
言葉は静かだが、苛立ちを隠しているのがよく分かる。
「応えなさい」
「い…嫌…です」
かすれた声で、しかしはっきりとしたムウの拒絶の言葉だ。
「…強情だな」
また折檻を始めたのかムウが泣くような声をあげる。
「あ…い…ああっ…あ…はああっ」
かすかにひびいていた水音が大きくなった。
わたしはムウの苦悶の声になぜか激しい肉欲を覚え、思わず耳を押さえた。

動悸が激しく、眩暈がする。

わたしは駆け出したいほどの衝動を押さえながら必死で考えをめぐらせた。
出てゆくには今はあまりに不利だ。
わたしは素手であり、ここはいわば敵地だ。

男は細身だが白衣の上背には確かな筋肉を感じられた。
体格差からしても、正面から戦って勝てる相手ではないだろう。
そしてわたしのポケットにはちり紙しか入ってなかった。

今寄りかかっているこの扉に鍵がかかっているのかすら分からない。
どう考えてもいったん引くのが得策であった。

…しかし。

ムウをあのままにして、
神仏にかけても帰ることなどできはしない。

南無観世音菩薩。
怖畏なる軍陣の中にありても、彼の観音の力を念ずれば、衆の怨、悉く退散せん。

わたしはズボンのボタンをちぎると、
それを向かいの準備室の扉にめがけて投げた。

それは首尾よく入り口の扉にあたり、カラコロと転がった。

賭けであった。
物音に気付いた男は動きを止め、ムウの口を布でふさぐと
出てきた扉から奥の部屋に入っていった。

その隙にわたしはドアをそっと押し開け、身をすべり込ませた。
すぐにムウにかけより、身柄を確保する。
ムウはわたしを見てなにかモゴモゴ言っていたが、幸い口はふさがれている。
わたしは抵抗できないムウをそのまま肩に担ぐと暗い廊下に走り出た。

階段はすぐそこだった。
二階に降りたあたりで男のムウを呼ぶ声が聞こえた。
上から規則正しい靴音が響いてくる。
どこかでムウの拘束を解かねば、じきに追いつかれる。
わたしはムウを一端降ろすと、廊下の非常ベルを思い切り押した。
警報が派手に鳴り響く。ある意味非常事態だから仕方あるまい。
わたしはムウを抱え一階まで駆け下りた。
しかし向かいからは警備員が走ってくる。
とっさに階段下の清掃用具入れにわたしはムウと滑り込んだ。
警備員はベル音を回収すべく、目の前を通過し二階に駆け上がっていった。

用具入れの狭い隙間でわたしはムウの手足のベルトを、そして口の布を外した。
「シャカ…君は…!」
そのとたん非常ベルが鳴り止んだ。
わたしは思わずムウの口をふさいだ。
両手がふさがっていたというのはいいわけでしかない。
噛み付くような…いやわたしは実際その唇に噛み付いていた。
ムウは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに目を閉じ、
わたしの乱暴な接吻を受け入れた。
わたしがムウの背を抱くと、ムウもおずおずとわたしの背に 腕を回した。
わたしはムウに促されるまま、その熱く小さな舌に己を絡めた。
永遠に続けばよいと願うような甘い刹那にわたしは酔い痴れる。
が、ムウは我に返ったようにわたしを押しやった。
「ごめん…」
そして小さな声で言っのだ。
「君…好きな子がいるのに」
「それは…」
その瞬間、頭上に靴音が響いた。
すぐ上の踊り場で話をしているようだ。
「サガ先生ぇ〜困りますよぉ〜もう〜」
「いや、本当になんでもないんだ」
「お楽しみが過ぎたんでしょ」
「なんでもないと言ったろう」
「ケケケ…理事長先生には黙っていて差し上げますよ」
足音がちょうど扉の前で止まり我々は身を堅くした。
少しの沈黙。
「おやおや今日は二度も、こんなに!ケケッ悪いですね」
「ついでに頼みがあるのだが、あの子を探してほしいんだ」
「お安い御用で。あたし向こうから来ましたからね。ここらに隠れてんでしょ」
そういって警備員はコン、と用具入れの扉を叩いた。
わたしたちは身を堅くした。
しかしサガと呼ばれた男はここを素通りし、一階の教室へ向かっていった。
「ムウ。出てきなさい」
有無を言わせぬ声音だ。
「そんなにお仕置きされたいのか?」
ムウがビクと身を震わす。
そのとたん、ガチャリと用具入れの扉が開いた。
「げろおっ」
わたしは反射的にその警備の男をモップでのしていた。
「ちょ…シャカ!」
ムウが驚いたように囁く。
「フッ峰打ちだ」
得意がっている場合ではなかったようだ。

「これはこれは…小さなナイトの登場か」
「先生!」
すぐにあの男が現れた。
「ナイトではない、キングだ」
わたしは訂正する。
話すと長いが、つまりは呼称の好みの問題だ。
「取りたまえ」
わたしは右手にモップをかまえたまま、窓拭きのワイパーを取ると男に投げ渡した。
男はため息をつきながらワイパーを受け取り、 笑顔を浮かべ、わたしを説得しようとした。
「君ね…うおっ」
男はわたしの突きを器用にかわす。
教員のくせに身のこなしは機敏だった。
二、三度わたしの攻撃を避けていたが、男はついにモップの柄を掴んだ。
「危ないじゃないか」
思いのほか力が強い。ねじ伏せられそうだ。
「くっ…ムウ、今のうちに逃げろ」
「そんなこと言ったって」
「行くところなどない。そうだろう?」
男はまるでムウの庇護者のような口ぶりだ。
「このわたしから、逃れられると思っているのか?」
優しい口調で脅してくる。
「ほら、おいで」
こんな脅迫の常套手段になぜムウが動じるのかわたしは不思議だった。
「来なさい」
ムウは呆然と目を見開いている。
催眠か?妖術か?いずれにしても許せない。
「待て。ムウは渡さない」
「ふん…惚れたか」
「そうだ」
ガタンと音をたててムウが扉に寄りかかった。
ムウはまだまるで亡霊でも見たかのような顔で目を見開いている。
「ムウ!わたしと逃げるのだ」
モップを握り締めたままわたしは空いた手を差し伸べる。
「な…何を勝手なことを!」
そこでなぜ我に返るムウよ。
その隙に、引き合っていた柄を放され、 わたしは勢いよく後ろにしりもちをついた。
「残念だがキングはわたしだ」
男はおとなげなくもわたしの喉元に剣…否、モップの柄を当てた。
「シャカ!」
「やはりそうか。噂に高いA高の神童君」
「うぐ…っ」
動けない。男は喉元に当てた柄をじわじわと押し付けてくる。
息ができない。
「君は何を勘違いしているのか知れないが。 わたしとムウは愛し合っている。君も…見たのだろう? この子はわたしのものなのだよ。身も心も」
「サガ…っ」
ムウの叫びが聞こえたと思うと、その瞬間、呼吸が楽になった。
見るとサガがモップの柄を握りしめたまま後ずさっている。
「ムウ…それを置きなさい」
まるで拳銃でも向けられているかのような慌てようだ。
「やめなさい。やめなさいそれやめなさい。」
見上げるとムウが泣きながらデッキブラシを握り締めている。
「サガごめんなさい…わたし…わたし…」
「わかった…わかったから…」
ムウがブラシを一閃した。
「う…うあああああ!」
男は身をひるがえしたが、わずかに残っていた水滴が白衣に点々と散る。
男は慌てふためき、そのまま階上にかけあがった。
まるで劇薬でも被ったかのようなうろたえぶりにわたしは呆然とした。
「ムウそれは…」
「トイレの…ブラシなの」
「……」
「……」







   *   *   *





聞けばあの男は極度の潔癖症であるらしかった。
人には意外な弱点があるものである。
感心するわたしの隣でムウは憂い顔だ。
「…どうしよう」
わたしたちは校舎を抜け出し、すでに町の境まで来ていた。
この峠を抜ければすぐにわたしの町である。
ここまで来て何をためらうというのか。
「あの男に未練があるのか」
「そうじゃなくて、これからどうしようかってことだよ」
「だから、うちにくればよい」
わたしにとっては心躍る提案であるのに、ムウは浮かない顔をしている。
「…あの騒ぎ、問題にならないわけがないじゃない?」
「まあ、皆で掃除をしていたというにはいささか無理があるな」
「君は馬鹿なの?君だって素性を知られてしまったから、いずれ君の高校にも連絡がいって」
「連絡など来ないだろう。あの男も、警備員ですら、昨夜のことはそれぞれ後ろ暗い。もみ消すに決まっている」
「…だといいけどね」
ムウは他人事のように言った。
だが少し横顔が安堵しているように見えた。

「…それにしても…」
ムウは立ち止まった。
「…あんな姿君に見られたくなかった」
「まあ、妙な格好ではあったが。尻を出して」
「だからあれは!ああいう…プレイなの」
「プレイ…とは?君は本気で嫌がっていたようだが」
「嫌なことは嫌なの…でも」
ムウは一瞬押し黙ったが、顔を赤らめながら応えた。
「ああいうことをされても、ずっと…毎日…自分から、サガ先生のところに通ってたんだよ。…意味わかる?」
「わからない」
実際わたしはそのとき大粒の涙を流すムウの顔に見惚れていた。
しずくは朝焼けの空のようなその髪に落ち、朝露のように輝いている。
「だが君がなにやらひどく苦しんでいるのはよくわかる」
「それだけじゃあ、多分…駄目なの」
わたしはさらに分からなくなった。
駄目、とはどういうことだ。
「では何故君はわたしと来たのかね?」
わたしは単純に疑問であった。
「…君こそ、どうしてわざわざこんな馬鹿なことをしたの?」
「君が好きだからだ」
そういえばまだ言っていなかったとわたしは思いたち、改めて強く言った。
それを聞くとムウはその場に座り込んで泣きだしてしまった。

わたしはムウに初めて会ったときのことを思い出した。
この子どもは何をそんなに苦しんでいるんだろうと。
そしてわたしは、相も変わらず、その苦しみを毫も救うことができないのだと。
わたしはムウの隣に腰を降ろし、嗚咽する肩を抱いた。
するとムウはわたしの首を抱き、声を詰まらせながら言ったのであった。
「わたしも…君が好き…だから…」
その刹那、泣いているムウには悪いが、わたしの脳内では花が咲き乱れ、白鳩が飛び回り、祝祭を告げる鐘が鳴り響いていた。 あれほど波立っていたわたしの瓶は満たされ、宝玉のように輝き始めた。

「なにをにやけているの?腹たつんだけど」
ムウが涙声で悪態をつく。
「これが喜ばずにいられようか。両思いだ。恩寵だ。奇跡だ、ムウよ。慈悲あまねく仏陀よ。あまたにおわす御仏よ。八百万の神よ、とくに縁結びの吾が神よ。伏して感謝をします。で何が問題なのだね?」
「問題って…君修業はどうなるの?悟り、開くの?開かないの?」
ムウはなぜか険しい表情だった。
「なにか誤解をしているようだが、確かにわたしは修業の身だ。しかし禁欲は悟りへの一つの手段でしかない。悟りとはいわば頂上のない山のようなもので、その道すじが急で険しいからといって 早くたどり着くというものではないのだよ」
実際に人生を汲まずして悟りを得ることなどはできないだろう。
ムウの心はたしかにわたしにある。
肉欲などいかほどのものだろう。

「放逸に過ごし酒色に耽ろうと、真に偉大な人物であれば道を過つことはない。
もしわたしにそれがかなわないのであれば、わたしもその程度の人間であったということだ」
「随分な自信だね。…先生…サガも、最初はとても素敵な…素晴らしい人だったよ」
わたしはムウがあの男の名を口にするのを苦々しく思った。
「それで君はあの男に何をされていたのだね」
答えにくい質問であるのはわかっていた。
「…いつも明け方まで…とても口にできないような恥ずかしいことを…たくさん…されたよ」
「なるほど。眠くなるのも道理であるな」
「あれは…それだけじゃないけど…」
ムウの逡巡に気付いていたが、わたしはなぜか残酷な気持になった。
「その行為が忌まわしいものと知りながら、君はその体でわたしと会っていたのかね」
「あ…」
ムウの背がかすかに震え、わたしを見つめるムウの瞳が暗く輝いた。
「…もっと…言って」
「そんな穢れた体でわたしの慈悲に縋ったのかね」
わたしはムウを見据えてはっきりと言い放った。
「あっ…あ…は…」
ムウは己の肩を抱いてうずくまると、沸きあがる熱に耐えきれぬとでもいうように数度その身を震わせた。
その卓越した想像力はその懲罰の言葉だけで肉体を昇らせたのだろう。
ムウはしばらく放心したようにぐったりとしていたが、ほどなくしてまた泣き始めた。
こんどは先ほどよりもいくぶんか激しい。

わたしのポケットのちり紙を全て使い顔と体を拭うとムウはようやく言葉を継いだ。
「…死にたい」
「なかなか常人にはできないことだ。面白かった」
「うるさい黙れ。…こんな惨めなからだになってしまって…死んだほうがましだ」
軽軽しく口にする言葉ではないと思ったが、ムウは本気で恥じ入っていた。

「では死んだ気になってわたしにすべて預けてみる気はないかね」
「嫌だ恐いよ。何より不安だ。君が」
「大丈夫だ」
「そういうところが怪しいの。君には多分無理」
「無理かどうかやってみなくては分からないではないか。わたしの仁徳で君の煩悩が浄化されるかもしれないし…君の欲でわたしは奈落に堕ちるかもしれない」
「そんな乱暴な」
「乱暴ではない。最悪の場合でもわたしの一心の願いであれば御仏は耳を傾けてくださる。この身が奈落に墜ちたとしても君は救われるだろう」
代われるものなら、わたしは喜んで君の苦しみを舐める。

ちょうど朝日が山の端から昇りはじめていた。
「…一人だけ救われるなんて…つまらない」
ムウは黙ってわたしの胸に顔をすり寄せた。
「君は贅沢なことをいう」
「いいよ。地獄に落とされても…でも」
赤く日に照らされたムウの白い顔は、この世のものとは思えぬ美しさだった。
「君と一緒がいいな」
そう言ってムウは、天使のように笑んだ。
























シリアス?版はこちら→天使は針先で踊る
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あとがきにかえて


いつになく出来心ですいません。
乙女羊の最初の四コマの背景っぽい感じで。
四コマの七夕オチとは別軸です。一応;;
シャカムウなのかすらも怪しい…ですが;
サガ先生の墜落ぶりもいつか書きたいです。

2010年7月7日


油すま吉@ソルティカルテット