注意:一応はシャカムウとなってはいますが、サガムウ・ムウ様総受を連想させる描写及び
登場人物の生死に関わる描写があります。宗教関連描写は全て不正確で適当な捏造です。
学園?パラレルより派生した別軸の設定です。冒頭の薄い文字はwhen angels〜とほぼ被ってます。


















天使は針先で踊る
  



「我ら神のおきては霊なるものと知る、されど我は肉なる者にて罪の下に売られたり」     
             『ロマ人への書』第7章14節











   *   *   *



その墓地の裏手の丘は、滅多に人が来ない。土曜の午後、わたしはここで日暮れまで瞑想をしていた。
四月も終わる頃、草むらにうずくまる人影を見た。行き倒れであれば弔おうと近寄ると、子どもであった。
具合でも悪いのかといぶかしんだが、ただ、泣いているだけのようだ。しかしそれがあまりに身も世もないといった風情で、捨ておくことができず、わたしは声をかけた。
「大丈夫かね」
その子どもは振り返り、わたしをじっと見た。
「何か助けが要るのなら言いたまえ」
わたしはなぜかそう発していた。彼の子は、促されるようにこちらに歩み寄るとわたしの膝に縋り
しばらくのあいだ嗚咽し、そしてそのまま眠ってしまった。

彼は名をムウといい、わたしと同い歳であった。ひどく頼りなく、弱々しく見えたのは最初だけで、
話してみれば随分と性根の座った子どもであった。理に聡く、このわたしの話にもついてくるばかりか、
大人びた軽口をたたく。その問答がひどく小気味良く、わたしたちはすぐに心安くなった。
ムウが男児と知ってもわたしは驚きはしなかった。肩のあたりで揺れる髪と丸い雰囲気で、少女で
あるかもしれないとも思っていたことは事実だが、性別など、わたしにとってどうでもよいことであった。
魂の波長が合う、とでも言うのだろうか。不思議なほど、心安らぐのであった。わたしが聞く神の声も、
御仏の話も彼は、からかいながらも疑いはしなかった。
はつなつの、風にそよぐ木漏れ日の中でひとしきり他愛もない話をすると、ムウは決まって「眠い」、と
体を摺り寄せてくる。すべすべとした柔らかい肌はほの甘く香り、ともすれば過ちを犯してしまいそうだ。
わたしの膝の上はすっかり彼の寝台であった。いつしかわたしは昼餉の時間も惜しみ、丘に向かっていた。


六月になって最初の土曜、いつものようにムウは現れたが、その格好にわたしは少し戸惑った。腿をあらわにした婦女子のような短いズボンにぴったりとしたベスト、薄い半袖のシャツに膝下までの長い靴下をはいていた。修行中の身にはいささか刺激に強い格好だ。しかしこれも慣れてしまえば魂の入れ物として意識から切り離すことができよう。わたしは注意深く視覚を閉じた。
「暑い…」
そう言いながらムウはネクタイを外した。ならばそのベストを脱げばよいと言ったがムウは聞かない。
「ねえ」
ムウがわたしを見上げる。
「甘えていい?」
そう言うと身を任せてきた。柔らかな唇がわたしの名を呼ぶこともなく、すみやかに寝息を立て始め、わたしは少なからず落胆した。
「まったく」
わたしは訳もなく苛ついている己に気付いた。
「起きたまえ」
「本当に眠いの…ごめん」
そう言って背を伸ばすムウの白い二の腕があらわになった。

気がつくとわたしは膝立ちになり、ムウを組み敷いていた。
「…シャカ」
ムウは驚いたようにわたしを見上げている。
「目が覚めたかね」
なぜかバツが悪く、わたしはすぐに身を起こす。
…ムウは思いのほか柔らかかった。
「君は寝てばかりでいったい何のつもりだね…」
つい声を荒げてしまう。
「…君となら眠れるから…」
そのような答えが聞きたいわけではない。他の者と寝てもいるかのような口ぶりは何なのだ。
わたしはますます焦れた。
「ごめん…君の邪魔をするつもりはなかった」
ムウは背を向けて去ろうとする。
「待ちたまえ。君はわたしを何だと思っているのかね」
知り合って三月が経つというのに時折見せるよそよそしさもわたしは苛立っていた。
ムウは黙って足をとめると振り返って言った。
「友だち」
すっかり言葉を失ったわたしを残し、ムウは去っていった。
「…ムウ」
わたしは何をしてしまったのだろう。わたしの腕の中で、震える小鳥のように身を縮ませたあの体に、わたしの理性はくらんだ。修業が足りぬどころの騒ぎではない。わたしは友を失ってしまったのかもしれない。
わたしの猛省を、御仏は慈悲を以って聞いてくださったが、心は晴れなかった。





   *   *   *




その週はずっと雨だった。
土曜に訪れたそこは、泥ですっかりぬかるみ、
あの明るい場所はもはやこの地上にはどこにも無いような心地がした。

わたしはいつものように、そこに座した。
木の下とはいえ滴は絶え間なく零れ落ち、すぐにずぶぬれになった。
ムウは来ないだろう、という予感は、ほどなく来るわけもないという諦観に変わり
雨に打たれるうちにわたしの心は静まっていった。


あたりは雨音に包まれ、生者の気配はない。
瀧のような雨水は、流転の理を思わせる。
この体も、ひとたび火に焼かれれば塵になり果てのない闇へと還りゆくだろう。
まことに、墓地は瞑想の場にふさわしい。
南無、と発すると閉じた闇に突如として燦然たる光が満ち、無数の仏が水平を埋めた。
天からは鈴のような音をたてて火の輪が舞い降りる。


「シャカ」
その輪に手をかけようとした刹那、瞑想が破られた。
ムウだった。
「こんな雨の中…」
ムウは掛け寄るとわたしの上に傘を掲げた。
その髪に、肩に雨の滴がはらはらとに散る。
「濡れるではないか」
「君こそ」
「わたしはすでに芯まで濡れている。君までがわざわざ濡れることはない」
その言葉にはムウが足をすくめたような気配がして、わたしは目をあけた。


ムウはこちらをじっとみたまま無言であった。
だがその大きな瞳は涙で溢れそうになっていた。
大粒の雨に濡れるのも構わず、ムウはわたしを見ていた。
「どうしたのだね」
「さよならを言いに来たんだ」
「ムウ?」
「君は神の声が聞こえるのでしょう?この世を救えるのかもしれない人だ。でもわたしは…」
わたしはかつてムウが喉元に小さな赤い十字架を下げていたことを思い出した。
「わたしとは信仰を異にすると?」
それであれば不合理な話が出るのも無理はない。
「…違う」
しかしムウは短く否定すると、黙り込んでしまった。
「せめて雨が止むまで居たまえ」
ムウは首を振ると、かすかに笑むんだ。
「いいや。君が濡れてしまっては困るもの」
「何の話だね」
「楽しかった。ありがとう」
立ち上がろうとしたムウの手をわたしは掴んでいた。
「あっ」
振りほどいて走り出そうとしたムウはぬかるみに足を取られバランスを崩した。
わたしは、自分でも驚いたことに、とっさにムウの背を抱いて転がっていた。
我々はみずたまりに落ち、すっかり泥にまみれてしまった。
雨に濡れるどころの話ではない。
「フ…ひどいありさまだな」
「くっ…よくも」
ムウは一瞬だけいつもの様子に戻った。
わたしは笑ったが、顔を上げたムウはわたしを見て顔を強張らせた。
「ここの入り口に水道がある。洗いに行こう」
声をかけても、なぜか動こうとしない。
わたしは放心しているかのようなムウの背を抱いた。
ムウは柔らかく、あたたかく、濡れて冷え切った体には炎のように感じられた。
「う…」
わたしが腕に力を込めると、ムウの顔が僅かにゆがんだ。
「大丈夫かね」
怪我でもしたのかと上着をめくると一瞬赤い筋が見えた。
ムウは弾かれたかのように身をそらす。
「見せたまえ」
「…いや…あ…ああっ」
嫌がるムウを抑えつけて背をはだけると、そこには網目とも言うような精緻な緋色の枠線がびっしりと広がっている。
「これは…」
わたしは言葉を失った。
刺墨であった。
背を分かち対称に描かれたその翼は、白い腰のあたりまで覆っている。
見事な意匠であるからこそ、なおさら禍禍しい。
線の大半が辰砂のように肌になじむ色合いであるのに対し、腰のあたりの色は鮮血のように滲んでいた。
いったい誰がこんな酷いことを…。
怒りのあまり体中の血が逆流するかのようだ。

ムウはわたしの虚をつくと背をひるがえし、脱兎のように走り出した。
わたしは追えなかった。
それどころか立ち上がることさえもできなかった。
ムウに消えぬ傷を負わせ「天使」に仕立て上げた者も許すことができないが、
無理矢理にその傷を晒したわたしも、同じように罪深い。
ムウのうつむく横顔と震えた肩が鮮明に蘇る。
わたしはとうとうその身も心も辱めたのである。

   *   *   *



夢うつつにわたしは幻を見た。
ムウは長身の男に組み伏せられていた。
泣き叫ぶムウを無理矢理押さえ込み、男はその背に朱を流し込む。
男は僧形で、胸に高位の印すら戴いている。
神に祈りを捧げ、その同じ場所で涜神の喜びに震えながら天使を犯す。
身悶えるムウの背からはいつのまにか血にまみれた白い翼が生え、
せわしなくはばたいては羽根を散らすのだった。


闇から覚めたときわたしははっきりと悟った。
あの最初のときムウがなぜ泣いていたのかを。
そしてそれを救える者がいるとするなら
それはわたしをおいて他にはない。

わたしはいてもたってもおれず、ムウの足跡を探した。
ムウの胸に下げられていた十字の形を手がかりに
わたしは近くの山中に小さな修道院を見つけた。

辿りついたときにはすっかり日が暮れていた。
入り口は閉ざされ、人の気配はない。
わたしは裏手から中庭に入った。
回廊の向かいにわずかに明かりの漏れる建物がある。
そこはレンガ造りの古い礼拝堂だった。
側壁のステンドグラスに月の光が鈍く反射している。
壁面を飾る細い窓枠にはイザヤ、エレミア、エゼキエル…と
ベブライの預言者らや武装した王たちが象られていたが、
中央に立つ洗礼者ヨハネの立像には首がなかった。
ガラスの背景は一面、緋色に染め抜かれている。

わたしはなるべく奥の壁に体を寄せ中の様子をうかがった。
祭室には、告解室のような仕切りがあり、明かりがともされていた。
修道士だろうか、男が一人出てくると服装を直し、十字を切る。
それと入れ替わりにまた別の男が入って行く。
中で何をしているのか知れないが、それが半時ほど続いた。


礼拝堂から長身の僧が白い布を抱えて出てきた。
男たちは口々に祈りの言葉をとなえながらかしずいている。
男が抱える布から花色の髪がこぼれた。
ムウであった。
わたしは思わず駈け寄ろうとしたが、
ムウが男の背にしがみつくかのように腕を回したのを見て、
それは打ち砕かれた。

二人は近くの僧房に入っていった。
ほどなくして部屋からは男の低い呻きとムウのすすり泣くような声が漏れだした。
急にムウの意識が途切れたのを感じ、わたしは思わず扉を開けた。
ムウは台上に横たえられている。
その体に乗っていたのは、黒い髪に燃えるような瞳の半裸の男であった。
男はわたしを見てニヤリと笑った。
その背には、長い黒髪に負けぬほど黒々とした双翼がびっしりと彫られている。
「さきほどからうろついている小僧だな」
男はわたしを睥睨しながら台から降り、傍らの黒い法衣をまとった。
「おまえは誰だ。…悪魔か?」
そう問うと男は声高に笑い、「そうだ」と言った。
不審な思いの抜けぬわたしに、男はさらに信じ難いことを言ったのだ。
「ムウはもうすぐ神に捧げられる」
男はムウの頬を撫で、その体を白い衣で覆う。
「な…それは生贄ということかね」
「おまえが身代わりになるというなら、命は助かるが」
見ず知らずの侵入者に何を言い出すのだろう。
しかしこの男はわたしの本質を見抜いていた。
そしておそらくムウに恋焦がれていることも。
「いいだろう。わたしは何をすればいいのかね」
「鐘の音とともに洗礼堂へ行け」
男は窓から八角屋根の小堂を指すと、棚から小箱を取りだした。
「そこでこの短剣で胸を刺し、洗礼槽に飛び込むのだ」
わたしは男が差し出す小箱を受け取った。
中には黄金の短剣がひとふり入っていた。
わたしはそれを入り口の目立たぬところに置いた。
「あとどのくらいで鐘が鳴るのだ」
「二時間といったところか」
「了解した。それまでムウとふたりきりにしてくれ」
男はしげしげとわたしの顔を見た。
「…不思議な奴め。しかしおまえであれば主も満足するだろう」
そしてそう言うと奥の扉に消えいてった。

わたしはムウの横たわる台に駈け寄った。
ムウの体はぐっしょりと濡れ、冷たい。
わたしは手巾でムウの体の滴を拭った。
腰のあたりの布に薄く血が滲んでいる。
わたしはムウをそっとうつぶせにした。
ムウの背の模様にはまた、新たに一枚ずつ羽根が加えられている。
あまりに痛々しく…それなのに幻惑されるほど美しい。

「う…」
ムウが気が付いたようだ。
「シャカ…?どうして…」
そう言いかけてムウは、顔色を変えて起き上がり、わたしのシャツを脱がせた。
「何も…されてない?」
「ああ」
「…良かった」
背に傷ひとつないことを確認すると、ムウはわたしを抱いて少し泣いた。
「君こそ大丈夫かね」
場違いなことを言ったような気がしたが、それ以外に言葉が見つからない。
しかしそれで我に返ったのか、ムウが問う。
「君は…君がどうしてこんなところにいるんだ。ここは君のような人間が来るところではない。早々に帰れ」
「帰ってもよいが、そのまえに聞かせてくれ。ここの主神はいったい何なのだ。どうも妙な感じがする」
ムウの白い顔がますます青白くなった。
「ここは…死と再生の秘儀を行う聖域なのだ。太陽の最も強いときに屠られる子羊は自らの血を浴びて生還する」
確かに今夜は夏至だ。しかし死者の蘇りなど異端中の異端ではないか。
「この儀式を継ぐ者は…かつてわたしの師がそうであったように永遠の命を得ると言われてるの」
他人事のようなムウの気配にわたしは尋ねた。
「君はそれを信じているのかね?」
ムウは黙って首を振った。
なんということだ。
信仰がないのなら供儀などに殉ずる価値もないではないか。
「馬鹿馬鹿しい。君はなぜここから出ないのかね?」
思い上がった人間か、落ちた神か知れないが、君さえその気になれば、その忌まわしい蛮行を法で裁くこともできるだろうに。
「共にここを出ようではないか」
しかしムウは黙って目を伏せた。
「呆れたな。なんのために君は…」
「…仇を…師の仇をとりたいの」
ムウはしばらく黙っていたが、そういうと顔を上げた。
その拍子に大粒の涙がムウの頬を伝う。
「ずっと…ずっと待っていたんだ。何をされても耐えてきた。そうするしかなかった。でも今日であればわたしは…」
ムウの強張った頬にかすかに赤みがさす。
その体に刻まれた神をも畏れぬむごたらしい傷と明らかな欲望の跡…。
「まさか…あの男か?!君を喰らっていた…」
「あの人を見たの?」
「見た。あれは気狂いだ。復讐などやめたまえ。君までが罪びとになってどうするつもりだ」
ムウはそれには答えずわたしを見て言った。
「君は…人を愛したことがないの?」
唐突に何を言い出すのだ君は。
「意味がわからない」
それは、彼の師への愛だろうか、それともまさかその男への憐憫だろうか。
考えてみれば、ムウはここから逃げることも、その男を見捨てることもできただろうに、居つづけたのだ。
憎みながら、苦しみながら。
それがどういうことなのかわたしにはわからない。
そもそも、復讐などといっても何をするつもりなのだ。
そこまで考えてわたしはある結論に達した。
「やはり代わろう」
「…シャカ?」
「君に代わってわたしがその男に天誅を与える。それでよいだろう」
「何…だって?」
そうすれば何も問題はない。ムウの命は助かり、狂信者らも散り散りになるだろう。
しかしムウはわたしの意図を知ると、真っ向から反対した。
それが則を逸するなど今に始まったことではないだろうに、なぜこんなときに理を説くのだ。
わたしは閉口した。
なぜ君には許されて、わたしは許されないのだ。
「だいたいどうして君がそこでしゃしゃり出るんだ」
「君が好きだからだ」
「え…」
ムウはさらに混乱したようだった。
「君は人を好きになったことはないのかね。わたしは君が好きなのだよ。
恋とはわたしが知るところによると、そのためなら喜んで犠牲を払うという極めて珍しい心理状態だ。
わたしは充分に得心している。わたしのことは気にしないでくれたまえ。なぜなら君が…」
そこでわたしはある助言を思い出して目を開けた。
こういう言葉は相手の目を見て言わねば効力を失するという。
「君が好きだからだ」
ムウの姿が薄闇に鮮やかに浮んだ。
困惑した顔つきであっても、やはりムウは可憐だとわたしは思った。
悲しみに疲れ果てたようなその瞳が大きく揺れている。
「シャカ…」
かの薄桃色の唇が動いてわたしの名を呼ぶ。甘美だ。
「君が好きだ」
思いはじつに素直に口をついて出る。
「…わかったからもうそんなに…言うな」
ムウは困ったような顔をしてわたしの背を抱いた。
わたしもあらためてムウの背にそっと腕を回す。

ムウとわたしは背がほぼ同じであったから、肩も、顎も、まるで双児のようにぴったりと重なり合った。
剥き出しの胸が、腹がムウのそれらとじかに重なり合う…たったそれだけのことなのに、すでにわたしの心の臓は破裂しそう
なほど脈打っていた。
ムウの胸からも規則正しい鼓動が響いてくる。
胸だけではない。首筋も、喉も、腹も…あらゆる箇所が脈打つようだ。
どちらの鼓動かも分からなくなるほど長く、そして密に、わたしたちは抱擁を続けた。
耳元でムウの息を感じるだけで胃の奥からせりあがるような激しい熱にわたしは呻いた。
わたしの浅ましい欲望は、―もっともわたしだけが限界まで張り詰めていたのだが
ムウに腰を強く抱かれた瞬間、とうとうわたしたちの腹の間ではぜた。
ムウは呼吸が整う間、わたしの髪を、背をなでていた。
その肩に首を預けて、しばらく目を閉じていたが、
ふと我に返り、わたしは獣のような己を恥じた。
「すまない」
ムウの肌を手巾で拭い、己の腹を拭こうとするとムウは唐突にわたしの手首を掴んだ。
そして屈みこむとわたしの腹についた汚れを舐めとってしまった。
「ムウ…」
驚いたわたしはムウの肩を掴んだ。
しかしそムウの動きは止まらずその赤い舌がわたしの肌を這う。
ムウは熱の篭ったうるんだような眼差しでわたしを見上げると
「君の…」
と言ってその唇をわたしの胸に押し付けた。
そこにはちょうど高鳴るわたしの心の臓がある。
ムウはその位置を確かめるように唇で探ると、歯をたてて強く吸った。
「う…」
眩暈のするような鮮烈な快楽が身を貫いた。
ムウの唇が離れるのを待ちかねるようにわたしもその手をとり、
同じようにそのなだらかな胸に唇を押し付けた。
「あっ…あ…」
ムウは細かく身を震わせるとわたしの頭を抱いた。
わたしの皮膚には僅かに赤みが残っただけだったが、
ムウの白く柔らかい肌は少し歯を立てただけで鮮やかな赤紫色に染まった。
我々はそれらを目印にまた肌を合わせた。
さきほどより鼓動が大きく響き、脈打つたびに背までが震えるのが分かる。
わたしの鼓動はとどまるところを知らずそのまま破裂してしまうかと思われた。
魂は背をなでるムウの優しい手によって、蜘蛛の糸ほどの細さで、かろうじて肉体にとどめておかれていた。

わたしは大きく息を吸うと、あらためて言った。
「君が好きだ」
顔を見るには体を離さなくてはならなかったが、
わたしの言葉でムウの顔が赤くなるのを見るのは楽しい。
ムウはわたしの肩に顔を埋めると小さく呟いた。
「わたしも…」
背にまわされた腕に力が篭り、痛いほどだ。
「君が…好きだ」
ムウの言葉に今度は喜びで息が止まるかと思った。
互いの熱に酔ってうわごとを言っているのかもしれない。
しかしそれでも構わなかった。
ムウに促され、わたしは躊躇しながらもその背を強く抱いた。
傷が痛むのだろうか、ムウは切なそうに眉を寄せたが、その口元は僅かに笑んでいた。
「君が好きだ」
「君が好きだ」
わたしたちは木霊のように言葉を交わし合った。
天窓からは月明かりが差し込み、一つになった影を蒼く映す。

「永遠の命ってあると思う?」
唐突にムウが問う。
わたしが神仏と話した限りでは、そのような話は聞いたことがない。
しがって「否」といわねばならなかった。
「そう」
しかしムウはわたしの答えに満足そうに目を細めた
わたしはなぜかたまらない気持になり、その身をさらに抱いた。
ムウはまた背をそらせ、甘くうめく。
確かに今ムウはわたしの腕のなかにいる。
行者の常としてわたしは如何なるときにも離苦を思うのだが、得たものをすべて手放さなければならない生というものは、やはり残酷だ。
わたしはムウの体から指先を動かすことすら惜しんだ。
しかしムウはするりとわたしの腕を抜け、少し待つようにわたしに言うと、白い衣をまとって部屋から出て行った。

わたしは椅子に腰をかけ大人しく待った。
しかし嫌な予感がして表に出た。
急に胸の噛跡がうずいたように思えたそのとき、大きな水音が聞こえた。

外に出るとあの男もちょうど部屋を後にしたところであった。
男はわたしの姿を見ると短い叫びを上げ、洗礼堂に走っていった。
わたしは一足遅れて堂内に駆け込んだ。
中央の槽は真っ赤な水で溢れている。

男の手で波打つ水面からムウの白い手足が引き上げられた。
その胸には、いつの間に持っていったのか、あの短剣が深々と刺さっていた。
「ムウ…なぜ…!」
君は…君は君の手で復讐をするのではなかったのかね?
「寄るな」
駈け寄ったわたしに男は鋭く言い放った。
「これから儀式を始める。他所者は去れ」
「…では一言だけ伝えよう」
わたしは妙に冷静な己に驚いていた。
「ムウは仇を討つ、と言っていた」
「なん…だと…」
その顔が驚愕のあまり歪んだかと思うと、男は急によろめき苦しみだした。
みるみるその髪の色が白く染まってゆく。
「ムウ…ムウ!ああ…なんということだ…わたしは…わたしは」
男はまるで人が変わったかのようにムウに縋って泣き始めたが、
突如として天を仰ぎ、諸手を上げて何かを叫ぶと法衣と十字架を引きちぎった。
血のような涙がその両眼から溢れている。
そしてムウの短剣を抜き取り、自らの胸につきたてた。

あっという間の出来事であった。
男は死にきれずにムウの躯を抱き、しばらく何かを呟いていたが、ほどなくして動かなくなった。

そのとき鐘の音が鳴り響き、男達が集まってきた。
彼らの長の死は予定外のことであったのだろう。堂内は騒然とした。
何人かが何か叫びながらわたしを追ってきたので、わたしはやむをえず山道を逃げた。

夜が明けて再びそこを訪れると、修道院はもぬけの殻だった。
中庭には何かが焚かれたような跡があった。
そして洗礼槽からは大量の人骨が発見された。




結局ムウとはそれきりだった。
生死も分からない。
…分からないということにしておきたい。



思えば、ムウは自死によって男を絶望に陥れようと目論んだのだ。
事実あの男もまた、ムウの後を追った。
復讐は成就したように思われる。

だがあの男一人の命ではとても足りぬほどわたしは絶望し、苛立っていた.
わたしが身代わりであったなら、ムウは生きていたかもしれぬと己の勘の悪さを責めもした。
心痛に耐えかねて、わたしは故国に戻ろうかとも幾度も思ったが、
もしやと思う気持を捨てることはできなかった







いつしか季節は巡り、わたしの髪も腰まで伸びた。
修業は進み、僅かながらわたしを師と慕う者も増えた。
わたしはいつか寺をまかされるようになっていた。


そして。
今年もまた新緑の美しい季節が巡ってくる。
わたしは待ちかねたように土曜の午後にあの場所を訪れる。
わたしはこの先もここで待つだろう。

やわらかい風のなかで、まばゆい光をまとって、
わたしの天使が舞い降りるのを。














エピローグ


when angels dance

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