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月の明るい晩のことだった。
白羊宮の主の小宇宙がわずかに揺れた。ムウは自身の小宇宙を残したまま宮から出て聖域内を移動しているようだった。
めずらしく起きていた俺は、そっと金牛宮を抜け出すとその後を追った。

行き先は聖域の一角に設けられた慰霊地であった。
真新しい土があちこちに盛り上がっている。そこは前日に埋葬が行われたばかりであった。
女神に拳を向けたとはいえ、そこに眠る黄金聖闘士らは他の戦士と差別なく、ごく質素に葬られていた。そしてムウの師の亡骸も棺に収められ、地中深く埋められているのだった。

夜風がたたずむムウの髪を揺らし、月明かりのなかに浮かび上がるその姿は、一輪の花のようだった。

・・・墓参りとはお師匠さんも浮かばれるな。
そう思って帰ろうとした矢先、ムウの目の前の墓石の文字が目に入り、俺の足は凍りついた。ムウが向き合っているのは師であった元教皇の墓ではなく、サガの墓であったのだ。

後ろ姿のムウがどのような表情をしているかは知れない。しかしさっきからその墓の前で微動だにしないムウに、俺は背筋がうすら寒くなった。
もはやその仇を返すこともかなわぬ師の仇。
どんな想いで墓石を見つめているのか、俺には想像もつかない。

居たたまれなくなった俺は、思い切って声をかけた。
「ムウ」
「アルデバラン・・・あなたも来ていたのですか」
こちらを振り返ったムウはいつもの笑顔だった。
「邪魔をしたようですまん。だが・・・」
ムウは俺の困惑を察したようだった。
「・・・サガにもはや恨みなどはありません・・師はおそらく運命を覚悟していたでしょうし、それを私がとやかく言うことはできません。」
私をちらりと見てムウはまた目をそらした。
「サガを憎いと思っていた時期もありました。しかし畢竟、憎しみは私自身の感情に過ぎないのです。・・・彼もまた13年間、罪を背負って生き長らえるという罰を受けたのだから。」

抑揚の無い声だった。本当にそう思っているかは疑問だった。しかし俺にはどうすることもできない。人の気持などどうして分かるだろう。俺はムウが何かに苦しんでいると思ったが、かけるべき言葉が見つからない。かといってその沈黙にも耐えかね、俺は必死に言葉を探した。
「俺は・・・昔のサガしか覚えていないが・・・」
ムウがこちらを見た。
「ちょっと・・・おかしな人だと思っていたのは覚えている」
ムウの強い視線を感じるが、もはや言葉を取り消すことはできない。
「なんというか、その・・・あまりに完璧過ぎて・・・何もかも全部一人で墓場まで持っていってしまった・・・」

沈黙。
ああ、馬鹿なことを言ったな、とは思ったがもう遅い。
しかしムウは怒るどころか笑い出した。
「フ・・フフ・・・確かに・・・サガはちょっと、いや、かなりおかしな人でしたね。」
「ああ・・・でも俺たちの兄貴分で。強くて優しくて、憧れだったな。・・・俺は・・・どんな形でも生きていてほしかった。」
これは偽りない気持だった。「サガが生きているなら」それは13年間この聖域の誰もが、口にはせずともどこかで思いつづけてきたことだった。

「・・・そうですね。せめて生きて・・・罪を償って欲しかった・・・」
ムウの声が急に震えた。掌からぬぐいきれなかった小さな雫がこぼれる。
「嫌だ。私としたことが・・・。見なかったことにしてください。」
「いや.・・・仲間の死に涙するのはおかしなことじゃないだろう。」
俺は勤めて平静を装ったが、ムウの突然の涙に言葉を選ぶ暇もなかった。ムウは弔いの式に一滴たりとも涙を流さなかった。そればかりか「実力がない聖闘士は黄金聖闘士たりえない」、という発言までして、ミロとアイオリアと衝突さえしていたのである。
それが、どうしたことだろう。

「涙など・・・こんなものがなければ良いとは思いませんか。自分が…無力な人間であることを思い知らされる・・・惨めな心持ちになります。」
「いや、俺はそうは思わない。無力さを知らしめるというのならば、むしろ涙は己を謙虚にしてくれるものなのだろう」
「・・・・・」
「星矢たちとの戦いで俺は思い上がっていなかったとは言えない。俺は鉄壁の防御が誇りであったが、いつの間にか、それが驕りになっていたのだ。必死に技を繰り出す星矢に負けたのもそのせいだ。…俺は自分自身の傲慢さに負けたのだ。」
「アルデバラン…」
「だから俺は自分への戒めのために聖衣を直さない。」
「それとこれとはまた問題が別のような気もしますが…でもあなたのように考えられたら素晴らしいですね。」
「いや・・・俺はそれほどたいそうなことを言ったつもりはないぞ」
「でもあなたのその言葉で救われました。・・・ありがとう。」

瞳を潤ませながら微笑むムウを見下ろすと、何故だか急にムウが、幼い子供のように小さく見えた。しかしそれでいてムウは、まだ何か得体の知れないものを負っているかのようだった。俺にはそれが何かは分からない。

13年もの間、秘境で一人暮らしていたというが、どんな暮らしをしていたのか。そして・・・何があったのか。優雅な微笑みに時折影が混じるのは、少なからぬ苦労があったろうことは知れる。そんなムウの涙は俺の胸をひどく苦しくさせた。そしてやはり、昔のようにこの美しい友人を守ってやりたいという思いが沸き起こるのを止めることができなかった。


俺は、せめて励まそうと思ってムウの肩に手を置いた。
ムウがバランスを崩したように、俺の胸に頭を寄せた。
「・・・・?」
俺は力をこめすぎただろうか。ムウが墓場の柔らかい土に足をとられたのだろうか。 いや、どう考えてもどちらもありえない。
「ムウ?」
ムウは無言だ。胸のあたりにムウの温かな涙を感じ、俺は思わずその肩を抱く。
するとムウの腕が俺の背に回った。
俺の心臓はバクバクと脈をうち、呼吸が困難になっていった。
「ム・・・ムウ」
恐る恐る残る腕を外そうとするとムウはこちらを見上げ、俺の首に手をかけて口付けした。

俺は卒倒しそうになるのをこらえ、ムウの肩を押し戻した。
「い・・・いや、いやいやいや。そんなつもりで抱いたわけではないのだ」
ではどんなつもりだったのか。それも説明できないくせに、俺は慌てふためいて、また わけのわからないことを口走ってしまった。
「分かっています。」
ムウは微笑む。
「・・・ムウ」
「ありがとう。アルデバラン」
そうか。今のは、ありがとうのキスだったのか。俺は南米人のくせにどうもハグやらキスが苦手だったから、いきなりそうされると上へ下への大騒ぎになってしまう。
とくにムウには。今その理由がわかった。俺はムウが・・・

赤面したり安堵したりする俺をしばらく見つめていたムウが「戻りましょう」と促し、俺たちは慰霊地をあとにした。

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