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湿度が急に変わったせいか、俺の鼓膜がまた痛み出し、またしばらくムウの世話になることになった。ムウは背中を負傷した貴鬼の面倒をみる合間に俺のところに来てくれていた。

「すまん、仕事を増やしてしまったな」
「怪我人が何人増えようと今更同じです。」
そういいながらも、その手は丁寧に包帯を取り替えている。
「しかしまだ治らないのか。昔、殴られて耳が聞こえなくなったこともあったが、すぐにもとにもどったぞ。」
「鼓膜自体だけでなく耳の内側まで傷つけてしまっていますから」
まったくあなたも力の加減を知りませんねえ、といってムウは微笑むと俺の耳に手をあてた。
俺はなぜか自分の体が急速に熱を帯びるのを感じ、慌てた。
「ムウ、だ・・・大丈夫だ。俺が頑張って治すから。」
「気合でどうにかなったら苦労しません。」
「う・・・それは・・・そうなんだが、俺はお前にそうされると困る。」
「なぜ」
「またお前のことが欲しくなって・・・しまう」
「・・・・・」

ムウはふうっと息を吐くと俺のほうを向かい、座りなおした。
そしてしみじみといった。
「あなたの善良さが眩しい。」
「ムウ?」
「あなたは本当に・・・いい人なのですね。でもあまりいい人にならないでくださいね。」
「なぜだ」
「早死にするからですよ」
「おい・・・!」
すでに一度死にかけた俺にはきつい冗談だった。
「心が美しい人間は神に愛されるから、早くに命を落としてしまう、と師のシオンが口癖のように言っていました。」
・・・ならば桁外れに長寿だったという師は・・・
「お前のお師匠さんは・・・、その、なんだ、よほど神様と折り合いが悪かったのだな。」
というと、ムウはなんともいえない表情を浮かべて微笑んだ。


「あなたと生き別れることが怖かったけれど。」
そして俺の手を取って言った。
「今はあなたの隣で戦える運命に感謝しています。」
言ってから、少しはにかんで付け足した。
「それに・・・こうしていると、あなたのまっすぐな気持が私の中に入って来るようです」
そういって瞼を閉じるムウは本当に美しかった。
ようやくムウが目に見えぬ仮面を外したかのように思えて、俺は嬉しかった。
思わず、うっとりと見とれる。
「・・・なんです、あなたまで私のことを仮面を被っている云々と言うのですか?」
小宇宙を通わせていると嘘がつけない、ということを忘れていた。
ムウはアルデバランの顎を両手で固定するように、反撃し、怒ったふりをする。
近づく体温に、俺の心臓は思わず飛び上がった。
欲望を悟られないよう俺はジタバタしてみたが無駄だった。


「アルデバラン・・・。この期に及んで・・・私が欲しいのですか?」
「あれほど終わりだと言われたのに・・・すまん」
「困りましたね」
「ああ。困った。でも欲しいんだ」
ムウの返事は分かっているのに、俺は意地の悪いことを言う。
「どうだ。俺は嫌な人間だろう」
「上出来です」
そういうムウは悪戯っぽく笑った。


俺の体の熱はもう、押えがたいほど高ぶっていた。
ムウの手のひらがしっとりと汗ばんでくる。
非常時だということは分かっている、分かっている、だがいま一度・・・。

そのとき東の空がゆがむのを感じた。
俺達は雷に打たれたように起き上がった。
「来るな」
「ええ・・・来ますね」
敵はやはり冥王ハーデス。最大の、そして最後の戦いになることだろう。

ムウは俺の頬を優しく撫でると、 そっと口付けをした。
俺達のはじまりであった、あの優しい口付け。
俺には分かっていた。
それがさようならのキスだと。
ムウの唇はやはり柔らかく、それだけで俺の心臓は張り裂けそうになった。

「白羊宮に戻ります。」
「ああ」
「あなたにはずいぶん長い間先鋒を守ってもらいました。その借りを返さねば。」
そう言うムウの瞳は燃え上がるような色味を帯びた。
その瞳は見るものを畏怖させるほど美しい。
俺はムウのこういった強さが好きだった。

「私の小宇宙が途切れたら警戒してください。 もっとも私はたとえ死んでも敵を通す気はありませんが。」
ムウは微笑んでさえいた。
俺も何か言おうとしたが、言葉が出てこない。

「そんな顔、しないでください。」
困ったように、笑うムウは一瞬だけ、俺だけのものになった。
しかしそのあとの顔は戦士のものだった。
白羊宮を守るアリエスのムウ。

くるりと背を向け、ムウは去ってゆく。
俺はしばらく動くことができなかった。


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