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『招かれざる客再び:typeA』 ムウは手の甲で涙を拭うと、寝台に向かった。 もう何をする気力も沸かない。 あの男・・・シャカの驚嘆すべき単純さはどうだ。 欲しいときに奪い、 侵し、 その行為に毫も疑いを抱かない あまりに俗人と懸け離れた心のありように ムウは頭を抱える。 所詮、私がいくら足掻いたとしても あの男の考えていることはわかりはしない。 友人であるなら、何がしかを通じるものが あってもよいだろうものなのに、 彼と自分はあまりに違いすぎる。 そして不意打ちを食らったとはいえ、自分の念動力が あのように簡単に封じられてしまったことにも ムウはやり場のない憤りを感じていた。 そして一向に去らない体の熱。 拭い去れない蹂躙の跡。 手も触れずに高められ、翻弄されてしまった自分の体。 ムウは口惜しさに涙ぐむ。 ムウはここまで自分を追い詰めたシャカを憎んだ。 いつも理不尽なことを言って、 さらに理不尽なことをして。 自分の思惑などこれっぽっちも考えようとはしない。 そして自分だけは、13年前のあの子供のままの清さを 保っているなど許しがたいことだった。 「シャカ・・・」 思わず声に出してその名を呟いてしまう。 「呼んだかね」 その男はムウの寝室に居た。 いつ侵入したかは分からない。 ムウは平静を装って尋ねた。 「ここで何をしている」 「確かめに来たのだ」 「何を」 「君が私を好きだということをだ。違うかね」 ・・・ここまで目出度い性格というのも珍しい。 さすが神に近い男。 「言ったはずだ・・・君など嫌いだ」 「そうか・・・分かった」 シャカは静かに答える。 その様子にムウは苛立ちが頂点に達するのを感じた。 「分かっていない!私は君が憎いのだ。こんなに私を苦しめておきながら 微塵もそれを分かっていない」 なぜだか分からない激情にかられて、涙が出る。 無論泣いたところでこの男にとってそれが何だろう。 ムウはかまわず続ける。 「君が憎い。・・・憎くてたまらない。」 最後は涙声になって途切れてしまう。 シャカは黙って聞いている。 重苦しい空気が漂った。 「・・・一番憎いのは・・・この愚かな私自身だ」 「だから君は」 シャカが沈黙を破る。 「・・・だから君は他の男にその身を喰らわせるのかね」 「だとしたら何だというのだ」 シャカは上着をさらりとはだけるとムウの寝台へ近づいた。 ムウはその異様な行動に思わず身を硬くする。 シャカの胸板は薄く、腰は小さかったが密に筋肉に 覆われていて、昔の貧相な面影はない。 脇から腰に、肩口から二の腕にかけて力がみなぎり 拳を繰り出すであろう戦士の体をしていた。 それはともかくとして。 ただならぬ雰囲気である。 ・・・何がしたいのか想像もつかない。 しかしここで逃げるわけにもいかない。 シャカは寝台の端まで近づくと言った。 「私が憎いとあらばこの首を取るがいい」 「な・・!馬鹿なことを!」 「そうかね。我々は女神によって自死を禁じられている。 ゆえに私の存在を消したいならこうするより他はあるまい。」 どうやら本気のようだった。 シャカは唖然として言葉を失うムウの手をとると、 自らの胸に押し当てた。 「ここが心の臓だ」 「・・・・・!」 シャカの体はひやりとしていたが触れると自分の手の持つ 熱のせいかすぐ温かくなった。 ムウの手のひらに胸の筋肉の隆起と規則正しい鼓動が伝わる。 こんなふうにシャカに触れたのは初めてかもしれない。 ムウは自分の鼓動が早くなるのを感じた。 「脈が速いな」 そう言うこの男はさきほどから少しもうろたえた様子はない。 「シャカ・・・君はいったい」 「なぜためらう」 「なぜって・・・馬鹿か君は!君は再び与えられた生を全うせずに死ぬのか」 「生死はたいした問題ではない」 いや。これ以上たいした問題があっただろうか。 「それより私は君の心の平安のほうが重要だ」 「どんな理屈だ・・・。だいたい君になんの関係がある」 「私が見た君は私のものだからだ」 そこが間違っているというのだ!と睨もうとすると 触れるばかりの距離にシャカの顔が近づいてきた。 ムウは反射的に目をつぶると唇に何か触れるものを感じた。 唇以外の何ものでもない、柔らかさ。 ・・・まさかこの男が口付けなどするとは。 シャカのことだ、さぞ容赦なく口腔をなめまわされるかと思ったが、 それは触れるだけのごく短い口付けだった。 だがそれだけでもムウの冷静な思考を奪うのには十分だった。 「この唇も」 シャカの細い指先が青く血管が透けるムウの白い肌をすべる。 「この肌も」 硬く握り締めたムウの手の指の一本一本を手繰り寄せ、 その長い骨ばった指を滑り込ませる。 指と指の間の皮膚の柔らかさを堪能するように ゆっくりと五指を重ねる。 「この手も私のものだ」 「か・・・勝手なことを・・・」 自分の声がかすれていることに気が付き、ムウは慌てた。 握り締められた手が燃えるように熱い。 昼間からくすぶりつづけている体の芯が一気に火がついたかのようだ。 シャカが指先に力をこめるとムウの桜色の唇が軽く開き、白い歯がのぞく。 もれる吐息が熱を帯びていることをシャカに知られてしまう。 「・・・触れられるのが嫌なのではなかったのかね。」 「だから・・・嫌だといっている!」 「ときどき君は心とたがうことを言うからな」 「何・・」 「昼間も君は嫌だと言ってはいたがもっとやって欲しいという顔をしていた」 「なっ・・・」 「さしずめ今も乾きに喘いでいるのではないのかね」 「そ・・・んなことがあるか」 「虚言を弄すと舌を抜かれるぞ」 その瞬間シャカが再び口内に侵入した。 舌が強引に絡めとられ翻弄される。 上顎をまさぐられ、力が抜けていく。 こんな仕方をどこで覚えたのか知れない。 理性が飲み込まれて消えてゆくかのようだ。 ・・・なぜ抵抗できないのだろう。 逃げられないわけではないのに。 まさか私はこれを望んでいるのか。 ・・・否。 私が望むのは こんなことではない。 こんなことではないはずなのに。 シャカは無防備に胸を喉を、私にさらしている。 封じられているのは右手だけ。 跳ね飛ばずことも 蹴り倒すことも できるはずなのに動けない。 動けばシャカは何のためらいもなくその拳を受けるだろう。 この男は自分の手にかかって死ぬことを本当に望んでいるかのようだ。 罪を負わせて私を苦しめ、 また、死んだあとも不在という事実でさらに私を縛るだろう。 ・・・私はなぜこの男のために苦しむのだろうか? その問いにたどり着いてムウは愕然とする。 やみくもに答えを塗りつぶすうちに、 唇が解放された。 見るといつのまにかシャカの目が開いていた。 その瞳に射抜かれたように、ムウは目をそらすことができない。 強く光りながら底知れない冷たさを持つ瞳。 自分がどれほど乱れ狂っても その冴えた青色は曇りはしないのだろう。 そう思うとムウは無性に腹が立ってならなかった。 「君は怒ると瞳の色が濃くなる」 「それがどうした」 「愉快だ」 そういうとシャカは声を立てて笑った。 ムウはまたこの男が分からなくなる。 「・・・君にそれほど執着されているとは。」 「何だと」 「君が君自身を嫌っても、そこから逃れられない。 同様に私を憎んだところで私から逃れられないのだよ。」 どこまでも良く分からない理論だった。 「・・・ならば私の心の平安とやらはどこにある」 「そのためには君が望むことは何でもすると私は言っている」 「私が望むのは・・・」 ムウは大きく一呼吸をすると言った。 「君が早々にここから立ち去ってくれることだ。」 ムウはシャカの言葉をさえぎるように言い切った。 「何を考えていても、どこにいても私が君のものだというなら 、君がここから去ってもそれは同じだろう。さっさと帰ってくれ」 「・・・それは本心かね」 「くどい」 「そうか」というとシャカはムウの手を離し、身を起こした。 シャカの腰布がわずかにはだけて、 正確には、はだけるような変化が夜目にも分かるように 顔をのぞかせていた。 「・・・・・・」 ムウは言葉も出ない。 「生理現象だ」 呆然とするムウの目の前でシャカは平然と衣を整える。 「君を損なうようなことがあったらこれも切って捨ててしまおう」と、独り言のように呟きながら。 「それは待て!」 シャカが顔を上げる。 「別れ難いかね」 「そうではなくて・・・」 シャカのこういうところが本当についてゆけない。 もはや正気ではないのかもしれない。 いや、私のほうが狂ってしまいそうだ。 ムウは何も見なかったことにして、 シャカに再び去るように言った。 驚くほど素直に寝台を離れたその後姿が 気のせいかしょんぼりした様子にも見える。 少し良心がとがめるような気がするのは己が甘いせいだと ムウは自分に言い聞かせる。 とにもかくにも、この場は収めたのだ。 「言い忘れていたが」 シャカは思い出したかのように歩みを止める。 「何だ」 「君も知ってのとおり聖域は合議制だ」 「それが何か」 「先ほどの会議のあと、君は私が好きだということになった。」 「はっ・・・?」 「多数決で」 「何でそうなる!」 「伝統あるギリシアの民主主義だ」 「だから・・そういう問題ではないだろう」 「星辰は空を巡り、日は南天に極まる」 「・・・何がいいたい」 「真理とはその変わらなさゆえに尊い。 君一人が異を唱えようと無駄ということだ。」 「そんなもの私は認めない・・・!」 くってかかろうとしてシャカを見ると ひどくうれしそうな顔で微笑んでいる。 何の憂いもなさそうなその顔を見ていると何もかもが 馬鹿らしくなってきた。 「もういい・・・いいです・・・いいですよもう・・・そういうことに しておきましょう」 その言葉を聞くとシャカは勝ち誇ったような笑みを浮かべ 嬉々として去っていった。 今やムウは悟りと諦めが兄弟であることを痛感していた。 もし、これが勝負なら、シャカは無敵だろう。 神に近いとはこういうことなのだろうか。 ・・・触れたその体は確かに人であったのに。 手のひらに、顔に、唇に。 シャカの気配は鮮明に刻まれてしまった。 残り香が、寝台の温かさがなぜか胸を締め付ける。 ・・・眠れない夜になりそうだった。 終わり。 |