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『招かれざる客再び:typeB』 月影に照らされてその男は来た。 ムウはようやく寝台にその身を横たえたところだった。 魂の奥底に触れられ、 人としての輪郭が融解するような 侵犯を許してしまったために ムウの精神は疲労の限界だった。 しかしその体は、収まりきれぬ熱量をもてあまし、 ムウを眠らせないでいた。 無理やりこじ開けられた細胞の膜という膜から何かが 流れ出してしまったかのような、 果ての無い喪失感。 それでいて体は微量の、しかし確かな熱を帯びて つま先までが得体の知れない電解質で満たされているかのように ざわざわと波を立てつづける。 正体もなくなるほどに責められたせいで 神経の制御系統がどこか麻痺してしまったに違いない。 肌に布目が触れても、 水滴が伝っても奇妙な感覚に支配され 思考が滑り落ちそうになる。 体の熱を放出したくないわけではない。 おそらく、たとえばサガであれば 洗練された巧妙さで アルデバランであれば すべてを包み込むように優しく ムウを解放してくれるであろう。 しかしその日はもはや誰にも触れられたくなかった。 早々に一人帰ってきてしまったのもそのせいである。 途中サガの手が自分の腕をとったときも 思わず乱暴に振り払ってしまったのも そのためだった。 目を閉じるとぼんやりとした記憶のなかで あの瞳だけが鮮やかな色を帯びて蘇る。 全身が沸き立つ感覚がのど元にまで迫ってくるようだ。 ・・・苦しい。 どうしたらよい・・・・ 静まらぬならいっそ自らで処理をしてしまえと 夜着に手をかけた。 ・・・分かっていたことであったが あまりの熱さに思わず顔をそむける。 と、 視線の先にその男がいるではないか。 「・・・・シャカ!」 「私にかまわずつづけたまえ」 「・・・いつから居た」 「先ほどからだ」 「・・・・・・」 羞恥で顔を真っ赤にするムウに 「君にしては珍しいことだな」 と、シャカはあっさりととどめをさす。 「君のせいだ!」と叫びたいところを かろうじてこらえ、ムウは 「何しにきた」 と睨む。 「・・・気が散じている」 「君には関係ない。用がないなら帰れ」 シャカはゆっくりとムウに近づくと言った。 「君の魂を救いに来たのだよ。」 「何を・・・っ」 あまりのことに思わず声が裏返る。 もう嫌だ、 もうこんな男に付き合っていられない そう何度も叫ぼうとするそのたびに、 その常識のはるか斜め上方を通過するようなやり方で いつも主導権をさらってゆく。 ・・・それにもだいぶなれたはずだったのに。 言うに事欠いて魂を救うだと。 散々引っ掻き回して痛めつけたのはこの男ではないか。 その済ました顔を張り飛ばそうと起き上がるが さらに遠慮なく接近してくる顔に思わず身を引いてしまう。 鼻先にちょろりと一房長い毛を揺らしながらシャカは言った。 「死にかけているのだ」 「・・・確かに怒りのあまりに憤死しそうだが私は」 「君の魂が死にかけているのだ」 「何・・・だと」 「今日君の心中を見せてもらったがひどいものだった」 「勝手に入り込んで言いたい放題だな」 「君はとにかく荷が多すぎる。減らしたまえ」 「君に言われたくはない」 何を言うと思えば整理整頓か。 この男の部屋こそ、わけのわからない仏像やら数珠やらで 異世界と化しているくせに。 「君を苦しめているのは物ではなく、人だ」 ・・・なんとなくこの男がいいたいことが分かってきた。 要は自分が複数の男と関係を持つことが気に入らないのだ。 誉められた趣味ではないが、それにいちいち足をとられるほど 私はお人よしではない。 「・・・昼間の話か。君には関係ないことだ」 「君は自分で自分が苦しみ喘いでいるのに気がつかないのかね」 「大きなお世話だ」 そういいながらもムウは少し不安になった。 ・・・一人涙していた先ほどのことも、ひょっとすると この男は見ていたのではないか。 「君のやり方は命を損ねている。 毒を毒と知って仰ぎ、自ら塗炭の苦しみを味わって、 楽しいかね」 「・・・君に何が分かるというのだ」 そうだ。草木を相手にしているわけではなし、情は移る。 互いにその身を喰らい合う以上・・・悩みがないわけではない。 しかし、しかし、自分が、そうしなくてはいられない 生身の人間だということを、この男はどれほど理解して いるのだろうか。 「何かと思えば説教か。なぜと訊くが、 君はそんなことも分からずに私を救うなどよくも言えるな。 私は君が思っているほど強くも清くもない。 欲におぼれて何が悪いというのだ。私の心が罪業の重さとやらに耐え切れぬならば潰れるまでだろう」 そうだ、それほど貧弱であるなら、いっそ壊れてしまえばいい。 救いなど欲しくはない。 私は弱い人間だが苦しさを抱えて生きてゆくのには慣れている。 「だいたい神仏でもない君が何を救えるというのだ」 「それは分からない」 この男が「分からない」などという言葉を口にしたのは何年ぶりだろう。 思わずムウはその顔を見つめてしまう。 「しかしこれだけは確かなことだが」 やや改まってシャカは言った。 「君が苦しいと私も苦しい」 ムウは目をしばたたせる。 「ゆえに、君が私を、私が君を救うことができよう」 相変わらずの無茶な理論だった。 おそらくその根拠は「君は私のものだから」であり さらにその根拠が「私がそう決めたから」なのである。 いつもそこまで言い切るとシャカは何か得意げな笑みをうかべ 一人悦に入る。いちいち反論することも面倒なのでムウは そういう場合には放っておくのが常であった。 しかし、今日ばかりはなぜか様子が違った。 「私は苦しいのだ」 これもめったにないことだが、 シャカの眉がわずかに寄せられたようだった。 「君は平気だというが、君が苦しむさまを見るのは 私には死よりつらいことなのだ」 「・・・シャカ?」 もしかしたらこの男は昔の、泣き虫な小さいシャカのままで、 これから泣き出してしまうかのような気にさせられ ムウは慌てた。 「だから君に頼みたいのだ」 シャカが自分に頼むというのもこの十数年来かつて、 たったの一度しかなかったことだ。 「・・・君の心にいるあの男」 「何?」 「誰だか知らないがその男にすべてをゆだねたまえ」 「待て。私だってそんな男、誰だか知らない!」 「心眼で見たまえ。自ずと知れる」 シャカはそういうと背を向ける。 よく分からないままにこの男が去ってゆく。 以前にもわけのわからないことを言い残してこの男は去った。 そして一人、戦いの場で散ってしまった。 どうしてこの男は。 そうまでも己を律することができるのだろう。 とうてい想像もつかないやり方で。 今も、どこの誰かもわからない男にすべてをゆだねろとは。 そうして自分は去ってゆく。 いつもの、「君は私のものだ」というあの言葉は もう聞けないのだろうか。 理不尽ながらなぜか微笑みと安堵を誘うあの言葉は。 「・・・シャカ?」 振り返らない。 「待て!」 つい声が大きくなってしまう。 「何だね」 こちらを向いたその表情はいつものままだ。 「行くな」 互いの距離がもどかしい。 「帰れといってなかったかね」 「救うというなら救ってゆけ」 「ムウ?」 心は、まったく救われていないどころか かつてないくらい苦しい。 ムウは近づくとシャカの唇を奪った。 どうしたことだろう。 何か、そうでもしないと居たたまれない気持ちだった。 シャカなのに。 いや、・・・シャカだからか。 ふわりと風を額に感じる。 ああ・・シャカの目が開いた。 怒ったかもしれない。 間合いもないほど近づいていてなおかつ 目を閉じている自分は無防備だ。 技をかけられたら死ぬな。 そう思ったが、とまらなかった。 長いキスが終わり、目を開くと シャカの瞳が自分を見ていた。 何の表情もない氷のような瞳。 ムウは愕然とした。 勢いあまって、自分がもっとも大切にしていたものを 壊してしまったのだろうか。 もはや取り返しがつかないのだろうか。 泣きたいような気持ちだった。 「・・・シャカ?!」 《気は済んだかね》 表情が動いていない。 《間に合ったな》 「・・・五感を絶ったのか!?」 《そうだ。さもなければ私も他の輩と同じように君を犯していた》 「逃げるな」 《ムウ?》 「他の・・・他の輩と一緒にするな。」 小さくそういうとムウは固まったままのシャカを小脇にかかえ ベッドに運んだ。 シャカの服を脱がせる。 シャカの体は骨ばってやせてはいたが、 さすがに筋肉はついていた。 「さっさと戻ってこないと額に肉と描くぞ」 「それは何のまじないだ」 シャカがようやく起き上がった。 「シャカ・・・!」 ムウはこの変な男を抱きしめる。 その薄い胸に顔をうずめながらも抵抗されないように 脇を決めるのも忘れない。 その腕の中は温かかった。 かすかに汗の匂いがする。 「君とこうしていると救われた気がする」 「それは確かかね」 「ああ。確かだ。」 「・・・私はまだ苦しいのだが」 ムウはこの男でも性の欲求があるのを知ると なんだかうれしくなった。 「それは自業自得というものだ。君は私のために一生純潔を貫くのだろう? 我慢したまえ」 「・・・騙したのかね」 「昼の礼だ」 シャカはすこぶる不満そうだったが 彼の理論からすると 私が楽しければ、彼も楽しいはずなのだ。 私の体が帯電したようになっているのは この男の電波的な小宇宙が伝染ってしまったからなのかもしれない。 ・・・私も変な男になるだろうか。 それでもいい。 それでも、 この男とともにいるのは楽しい。 もがくシャカを押さえ込みつつ、ムウは微笑んだ。 終わり。 |