act.V 聖戦




*   *   *




ジャミールには修復師一族の集落がある。
濃い霧に守られた天然の要塞もシオンには庭同然だったが、童虎の警告に従い、裏手の山側から入った。
家々には明かりがついていた。しかし暮らしの音がない。
闇のなか聞こえるのは、ザザ…と風に揺れる木立のざわめきばかり。
どこかで遠くで歌うような女の声が細く響いたが、それも消えた。
…静かすぎる…
シオンは小宇宙を消し、低く這うようにして小路に出た。
一軒の家の扉が開いている。覗くと人の足が見える。
家人は床に倒れ伏し事切れていた。
外傷も、争った跡すらなく、しかし縊られたような苦悶の表情で絶命している。
死臭は薄い。かまどはまだ熱を持ち、蝋燭も長いままだ。
…毒か?
シオンは風上に周ると掌を大地に当て、敵の気配を聴いた。
…近い。
一戸ずつ、静かに扉を開けてゆく。
どの家も、生きているものはいなかった。
無論、彼や師の生家も例外ではない。
女子供も家畜も、野犬までもが倒れている。
あまりに異常すぎる事態がかえって彼の逆上を抑えた。
多少なりとも念動力が使える一族がこうもあっさりとやられるとは…。
…敵は何者だ…
なぜ集落の場所が分かったのだ。
…何者であろうと逃すか…!
その思いが辛うじてシオンの理性を保った。


気配を追うと幽谷に出た。
闇に二つの巨大な人影が仄白く浮かび上がる。
それらは鈍いきらめきを持った羽根のある兜と鎧をまとい、
あたりを震わせながら繰り返し言葉を響かせた。
「聖なるかな」
「幸いなるかな」
「冥王様がお目覚めだ…」
…ハーデスの側近か!
拳を繰り出そうとするシオンの頭上で
女の細い笑い声がこだました。
最初に耳にしたあの声である。
見ればまだあどけなさを残す黒衣の女が
長い髪をなびかせながら宙に浮いている。
あきらかに実体ではない。
シオンが拳を構えると
二つの揺れる影に連れられるように女は消えた。
「くっ…」
シオンは歯噛みした。しかし虚を追っても無駄である。
歩を返し、そのまま冥王を封じた塔に急行した。


見張りの白銀聖闘士の姿はなかった。
女神の封は、そのまま付されている。
にも関わらず、冥王は動いたのだ。
シオンは急ぎ集落に戻る。
ジャミールが狙われた理由はただ一つ、
聖衣の修復の路を絶つ。それしか考えられない。
一族が秘し、守ってきた書物や修復道具、そして希少な材料。
敵の掠奪に合う前にそれらを運ばなければならない。


倉庫の前に、その白銀聖闘士がいた。
扉を壊し開けようとしている。
「貴様!」
聖闘士はシオンの声に反射的に技を繰り出してきた。
だが所詮は黄金の相手ではない。
片手でその拳を封じるとシオンは男を締め上げた。
「何をしている」
男はそれには答えず、手足を動かし続けた。
「答えぬとあらば…」
喉元に触れたシオンの手が固まった。 肌が冷たく、脈も呼吸もない。
見ればその顔は眼窩がくぼみ、肉が削げ、明らかに死相を呈している。
シオンは思わず、その頚を折った。
しかしまだ、壊れたぜんまい仕掛けのように四肢が動く。
辛うじてその体を覆っていた聖衣がバラバラと外れる。
心の臓を貫くと、ようやく屍は動きを止めた。
「いったい…」
躯を打ち捨て、シオンは嫌悪と底の知れぬ恐怖に顔を歪めた。
屍が動くなど前代未聞だ。


気付けば四方から明らかに殺気をはらんだ影が近寄ってくる。
村人たちだった。
彼の親族もいる。
だが。
彼らは少し前まで床に横たわっていたのではなかったか。
群集の歩みに呼応するように四方から岩塊がシオンに向かう。
シオンはそれらを砕きながら念動力に捕まらぬよう細かく飛んだ。
「やめろ!」
絡みつく手を振り払った拍子に腕が飛ぶ。飛び来る岩に頭を潰されながらも彼らは近づくことを止めない。
シオンはようやく僅かに距離をとると光の壁を作り息をついだ。
透明な壁の向こう側では岩が飛び交い、人々が押し合い、阿鼻叫喚の態を さらしている。
このまま封じることもできる。
…だが、親族の亡骸をこのような辱めを受けたままにしておいてなるものか。
神話の時代より女神に仕えてきた己の一族が、何を望むかは明らかであった。
シオンは自ら壁を砕き、群集の中に入った。
聖衣に触れる生身の肉体は不気味なほど柔らかく
一撃で、まるで熟れた無花果さながらに潰れ散ってゆく。
血しぶきのなかを疾風のようにシオンは駆け抜けた。
百体ほどの屍は一瞬で無数の肉片となり
動いていた肉塊も、次々と静かになっていった。


シオンは倉の荷を、工房の道具を谷向かいの土地に運んだ。
作業を終え、聖域に急ぎ帰らねばならぬとは分かっていても
シオンはしばらく集落の入り口から動くことはできなかった。

茫然と佇むシオンに背後から近づくものがいた。
「何者だ!!! 」
数歩後方に飛んだ友に、童虎は静かに言った。
「わしじゃ」
「童虎…」
いったいどうしたのだ…髪まで血に染まった友の顔を、童虎は見やった。
「ジャミールは…」
そこまで言うとシオンの言葉が途切れた。
苦しげに喉を詰まらすシオンを、童虎は辛抱強く待った。


「…ハーデスの仕業としか思えぬ!」
「そうじゃろうな…だが一族を手にかけ、白銀聖闘士を殺めた。
わしでなかったらおぬし、殺されていたぞ」
訊けばシオンの動向をさぐるべく密偵が放たれたという。
命じられた蟹座を言いくるめ、童虎が代わりに来たのだ。
「さて…戻るのではないのか」
その前に…とシオンは集落を仰ぎ見た。
「ジャミールに火を放つ」
孝にうるさい友が、今ばかりは黙っている。
「…おぬしは修復が出来たか」
シオンが肯くと、童虎は「ならば」と頷首した。
シオンは修復よりむしろ戦闘を能くしたが、その手ほどきは受けていた。
修復なら師のほうが…との言葉をシオンは強く飲み込んだ。


ほどなくしてジャミールは炎に包まれた。
火の中に揺れる影が見える。
まさか…と二人は顔を見合わせた。
だが村人ではない。甲冑をまとっている。
「ハーデス軍か…いや、違う…」
「見ろ、聖衣だ…!」
近くに眠るはずの聖闘士たちであった。
操られて意識はないが、敵と認めた二人をその技で襲う。
白骨と化した躯までもが、倒しても倒しても立ち向かってくる。
個々の力はともかくもその圧倒的な数に二人は手をやいた。
断崖にそれらの群れを誘い、シオンが動きを封じた。
「今だ!童虎」
童虎の拳に粉砕され無数の躯が谷底に消えてゆく。
「…慰霊地の聖闘士じゃな」
「だろうな。聖域でこれが起こったら…」
考えるだけで身の毛がよだつ。
「急がねば」
二人がジャミールを離れようとするまさにそのとき、大地が鳴った。
西の空に轟音とともに火柱が立つ。
「…崩れるぞ!」
ハーデスを封じた塔が崩壊し始めたのだ。
シオンと童虎はすぐさまその地に飛んだ。
崩れ去る巨塔は外側から毀たれたようにも見えた。
塔の中心から四方八方に禍禍しい光が飛ぶ。
「あれが魔星か…」
「待て…!あれは…」
二人は土埃の中に人影を見た。
「まさか…」
聖衣こそ纏っていなかったものの、その横顔は間違いようもない。
双子座だった。





*   *   *




続きます
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