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* * * オレが眠い目をこすりながら宮に戻ると、居間でムウとサガがコーヒーを飲んていた。 …終わったか。さすがに。 ふたりは別にひっついてるわけではないのだが、そこに揃っているだけで他人の入り込めない密度の空気を形作っていた。新手の合わせ技でもできそうな勢いだ。 サガがオレに気づいたようだ。 「カノン!?…なんだ…まさか…おまえずっと外にいたのか?」 「そんな気遣いなどしなくてもよいのに…」 …いや、その気遣い、おまえたちが、しろよ!と思ったがオレはかろうじて黙っていた。 「…オレは寝るぜ…」 疲れと眠気が一気に来た。 コーヒーも朝飯の誘いも断り、オレは居間を後にする。 …ムウのやつ、嬉しそうに笑いやがって。「許したわけではない」とかなんとかいっておいて…ばかばかしい。 サガもサガだぜ。鼻の下伸ばして何が「贖罪」だよ。笑わせんな。 オレは心のなかで毒づくと占拠した客間改めオレの部屋に向かった。 途中、ふと視線を感じて振り返るとムウがこちらを見ていた。 目が合うとムウは微笑み、唇に軽く人差し指を触れてみせた。その唇がわずかに動いて見えたのは錯覚だろうか。 ほんの一瞬だった。 だが、指を押し当てたムウの唇のうごきやら何やら、昨夜のことやら…なにか急にたまらない気持ちになった。 オレはベッドにたどりつくととりあえず頭を整理しようと、一回ヌいた。それでもまだ胃のあたりにせりあがるようなモヤモヤが晴れない…。 …やっぱり女がいない聖域はおかしい。 あとで馴染みの港街にでも行こうと思いながら、多少冷静になった頭でぼうっと考えをめぐらせた。 …ムウの唇は…「また」、と動いたように見えた…また?…今度?次?一体なにが。 うっ…しまった。オレの心の余計なとこまで読まれていたのか…!? オレは手を重ねられたときのことを思い出し、今更ながら慌てた。 …しかしおい。そんなことしたらサガはどうなる。間違いなく発狂するだろ。ムウの奴何を考えてる。冗談にしても性質がわるいぜ。 そこでオレはあることに思い至った。 …もしもだ。 ムウがサガを「本当は」憎んでいるなら…全てのことのつじつまがわりと合ってしまう。 なぜムウがサガを選んだのか。嫌がら…いや復讐…か。 もしそうなら…サガは騙されているのか?しかし昨日のムウの涙が嘘とは思えない。 となると…オレも騙されてるのか…!? わからなくなってきた。 * * * 「カノン…起きてるのだろう?」 そのとき扉の外からサガの声が聞こえた。オレは一瞬身構えたが、部屋に入ってくる気配はないようだ。 「おまえは仮にも教皇の前で誓ったな?」 …何の話だ…? 「わたしに何かあったら…代わりにムウのことを頼む」 オレは無視を決め込んだ。知るかよ。だいたい「何か」ってなんだよ。「代わり」って…ジェミニの聖衣じゃあるまいし…。 …ジェミニ…? 嫌な予感がした。兄さんがオレに自分のものを譲ろうなんてときは。 オレはがばりと起き上がるとズボンをはき、サガの部屋に向かった。 「兄さ…」 またしても先客がいた。 ムウだ。 だがどこかで見たような黄金の短剣をその手に持っている。 「…ノックぐらいしないかと言っている」 「…カノン…」 「何…やってるんだよ!?」 ムウは半身で左手に剣を構え、サガに向かって踏み出す直前だった。つまりオレが一秒でも扉を開けるのが遅かったらサガはメッタ刺しにされてたみたいな状況なんだが…??? サガは顔色も変えずにオレを一瞥し、ムウは短剣をクルリと回して後ろ手に収めた。 「…何でもありません」 「ああ、なんでもない」 …絶望的に説得力ないぜ…なんだそれ…!? ムウは慣れた手つきで例の箱を虚空から出すと、短剣を丁寧にしまい、箱ごと消して、何事もなかったかのようにサガの胸に顔をうずめ、サガも当然のようにその肩を抱く。 ………なにこれ。オレは変な夢でも見ているのか?? サガがムウの尻を撫でまわし始めたのでオレは慌てて部屋の外に出た。 …ムウの尻が男にしては丸いことがわかっ…いや。しっかりしろ、オレ。 …整理しよう。 オレは廊下を歩きながら状況をまとめた。眠さはすっかりどこかにいっていた。 …ええと。 サガが変態で、仮に特殊なプレイ中であるという可能性も残るが、真面目に考えれば…ムウはサガを殺そうと、少なくとも…攻撃しようとし、サガは諾々とそれを受け入れる様子だった。ここまでは事実だ。 さっきの考えが頭をよぎる。ムウが本当はサガを憎んでいるなら。 まさかと思うが、ムウはサガを本気で殺したいのか!? ムウの意識の中はサガでいっぱいだったが、よもやそれすら復讐心だったのか。 サガを殺してやりたいと思う気持ちは分からないでもない。オレだって少なからず共感する。 だが、分からないのはサガもそれを承知で付き合っているらしいということだ。 茶番どころじゃすまない。大怪我、いや下手したら本当に死ぬぞ。 そしてなぜ…サガはムウのことを「天使」と… そこでオレは気づいた。 天使は天使でも、終末の到来を告げる神の使いか…!? まさかのそっちか!?兄ならありえないことではない。 そうか…サガが待ち望んでいたのは救いではなく裁き。赦しではなく断罪、か。 確かサガの書斎にはそんなようなことばかり書いた分厚い本が並んでいたように記憶している。無論オレは読みもしなかったが、ろくでもない有害図書じゃないか。 いやそもそも、聖域で仇討ちなんてこと自体が許されるのか。そんなはずがないだろう。私闘以前の問題だ。 そこまで考えて、サガの部屋が妙に静かなことに気がついた。 * * * 自分でも何度目だよと思ったがもうどんな邪魔しても構わんと思い、オレは走ってサガの部屋に戻り扉を蹴り開けた。 「…足で蹴るのはノックとは言わんぞカノン」 ムウはベッドに寝ていて、兄がそれを見下ろしていた…。 「…んだよもう…心配させんな…」 「心配?」 「さっきのだよ。どんなつもりか知らないがムウには殺気があったぞ」 「あれは『ささいな喧嘩が原因で』という体だ。未遂に終わったが」 「て…てい?」 「体裁のことだ。…いずれにしてもわたしは」 サガはこちらを向きなおすと大真面目な顔で言った。 「今度こそ聖闘士として正義のためにこの身を捧げる。だが私人としては、いずれムウに討たれるつもりだ」 予想どまんなかの答えにオレはめまいがした。 「わたしがムウにしてやれることなど、それしかないのだから」 「ふざけるのも…いいかげんにしろ!!」 気が付くとオレはサガの胸ぐらをつかんでいた。真新しい濃紺の法衣の合わせが割けた。 サガは眉一つ動かさず、オレを見ている。 「そんなのがムウへの償いなのか?意味がわからん!だいたい肝心の教皇はもう生きかえったうえにちゃっかり若返ってるじゃないか!」 「…そのことばかりではない…」 「…え…」 よく見るとサガはうつろな目をしている。声や態度は変わらないが、何か不穏なものを感じる。オレは余計な刺激をしないよう努めて冷静に訊いた。 「他に…兄さんは、ムウに何を…したんだよ…?」 「ムウには…ありとあらゆることをした…」 なんだそのざっくりとしたしかし恐ろしい答えは。オレは固唾を飲んで次の言葉を待った。 「…わたしにとっては教皇の亡霊のような存在。最初は殺そうと思ったが果たせず、せめて手なずけようしたが、それも不首尾に終わった…」 …ああ、結局聖域に攻め込まれたのだから、って全部失敗したのかよ…! 「その過程でムウには…まだ年端もいかない頃から、とても言葉では言えないような残虐非道な仕打ちを繰り返した…」 罪の意識に耐えがたくなったのかサガが声を詰まらせた。右手で額を覆い、顔を歪めている。 「…らしい」 「らしい?」 「…覚えていないのだ」 「…は?」 悪の人格が云々ってやつか。なんてこった。 「記憶にないのになぜやったと言える?」 「教皇宮の折檻部屋にはおびただしい拷問道具があるが…ここにも大量に残っていてな…」 「拷…」 開いた口がふさがらない。 「もちろんムウの体には傷一つない。わたし自身はその髪の毛一本も損ねていない。どこもかしこも奇跡のように美しい」 いや、誰もそんなことまで訊いてない。 「しかし…」 サガの顔がまた苦しそうに歪む。 「ああ、心の傷ってやつか?…オレの知る限り、ムウは普通に戦っていたようだが」 …そもそも兄の語る傷ついた繊細そうなムウというのは今ここでぐうすか寝てるムウか?多分こいつおまえよりメンタル強いぞと思ったが黙っていた。 「…いや、問題なのはむしろその」 そのとき、ガタン!という音とともにまるでホラー映画のように本棚に並んでいたなんかの像が倒れた。オレはムウの目がくわっと開いたような気がして慌ててベッドを見たが、変わらず平和そうに寝ている。 * * * 棚を整えて戻ってきたサガは若干落ち着いて見えた。 「…まあ、しかしおまえのおかげでジェミニの黄金聖闘士がいなくなるということもなくなった。」 「なに…?」 え…つまり、オレがいれば、ある日突然に殺されようと何の問題もないとでも? サガの奴、回復…しているようで全然していねええ!!むしろ変な方向に飛んでるぞ。いいのかムウ! だがひとつわかったことがある。 つまり、オレが来たことでサガを生かしておく理由が一つ減った。最初に会ったときのムウのやつあたりのような態度はそのせいか。しかしそれにしても。 「サガ…それ本気で言っているのか…?」 「ああ」 「ならオレは断る」 「なん…だと!?」 「そんなくだらん身勝手な理由から押し付けられたものなど要らんと言っている。聖衣も…ムウもだ!」 「…くだらない…だと!!??」 サガが激昂するだろうことは分かっていた。だがオレも必死だった。 「愛のために生きてもよいと女神からも正式にお許しを得ている。このわたしの心に…他になにがあるというのだ!?」 ああ、他に何もないのが問題なんだぜ。 まったくサガも、アイオロスも、アイオリアも…聖域の連中は恐ろしい。自分を聖闘士としてしか考えていない。 女神のおかげで、愛という大義名分ができたものの、そこに課すものを面白いほどに持っていない。自分のために生きることなど考えもつかないのだろう。 「…兄さん…」 しょうがないからオレは奥の手に出た。 「オレがいるから自分はもう死ぬなんて、そんな考えが身勝手だと言ってるんだ…」 くらえ。泣き落としだ。 「カノン…!?」 唐突な涙であったからサガはあっけにとられている。 「オレは兄さんに、ジェミニの代わりだということを忘れるなといつも言われていた。だが本当はな……兄さんにそう言われるたび嫌で嫌でたまらなかったんだ!!」 嘘泣きのはずがなんだか止まらなくなってきた。 「オレの存在はなんなんだよと思ったぜ。オレがいるから兄さんは死んでもいいというのか?オレが兄さんを殺したようなものじゃないか。そんなのは絶対ごめんだと思ったぜ!」 「カノン…まさかおまえは…おまえがこのわたしの命を惜しむというのか!?」 「…ああ」 うんまあ、おおむね合ってはいる。 案の定サガは滂沱の涙を流し始めた。オレは間違っても抱きつかれないように一歩下がる。サガはがくりと膝を落とし、床に両手をついた。 「わたしは…おまえに嫌われているとばかり思っていた。おまえの話も聞かず、欲しいというものも十分にやれず、いつも厳しく接していた。挙句、わたしはおまえを岩牢に見捨てた。…兄としては失格だ…」 …自覚はあったのだな。兄としてというか人としてもいろいろアウトだからな。思い知れよ。 「…許してくれカノン」 「いや…オレも……その…悪かった…」 なんだこの居心地の悪さは…他でもないサガにこんな風に手を付かせて謝らせるなんて最高に気持ちいいだろう思っていたのに。 サガはひとしきり涙を流すと、うつむいたまま言った。 「カノン…わたしを好きなだけ殴れ」 「いいのか」 サガがうなずく。 ようし。思い知れ積年の恨み…!!オレは笑顔を押し殺すと数歩下がり、渾身の一撃をその鼻っ柱あたりにかました。 サガは後方の天井をえぐり頭から落下した。立ち上がりざまに腹に数発。鮮血が大理石の床を染めてゆく。 「う…」 サガはさすがにまだ意識はあるようだ。蹴り上げてとどめをさそうと思ったところ、足が動かない。タヌキ寝入りのポルターガイストのせいだ。まあいい。 「…このくらいにしといてやるか」 …アバラ2、3本ってとこか。オレはサガに殴られるたび、死にかけてたけどな… まだ暴れたりない感じだ。オレの目の前で手ごたえありそうな黄金の羊が寝てるじゃないか。 「そうだサガ…ムウを借りてもいいか?」 ここでというのも鬼畜だが、堂々としててオレの性には合う。 「…調子にのるな!!」 サガが立ち上がったと思った瞬間、オレの体は宙を舞っていた。 * * * 左頬の痛みで目が覚めるとオレは自室の床に転がっていた。口の中いっぱいに粘ついた鉄の味がする…歯は…折れてないみたいだ。どうやらさっきのサガの一撃で綺麗にやられたらしい。 手加減しなかったのはお互い様だが…。 …まあいい、次は最初から一発で狙ってやる… オレは今度こそ寝ようとベッドに上った。 うとうとしかけたころ、気配を感じて目を開けるとムウがいた。 その指がオレの頬に触れたと思うと、痛みがすっと和らいでゆく。 治癒効果のある小宇宙か。オレはその厚意に甘えてその手に顔を預けた。 「悪いな」 「いいえ…」 あたたかい指先が心地いい。こんなふうに人に触れられるのはずいぶん久しぶりだ。じんわりとぬくい小宇宙が広がってゆく。しばらくそうしていると腫れは完全にはひかないものの、だいぶ楽になった。 「…さっき邪魔をしたのはおまえだな」 ムウはそれには答えず、ふふ、と笑うといった。 「いいたいこと言ってだいぶすっきりしたのではないですか?」 バカな。サガにいいたいことなんて山ほどあるんだぜ…まあでも、久々にくらうサガのストレートはどこか懐かしかったな。 「サガは?」 「さすがに部屋で休んでますよ。少しは安静にしていたほうがいいでしょう。右脇腹は昨夜痛めたところですし」 「…昨夜?」 「少し手元が狂って」 どうやらムウは律儀にサガの隙を狙っているらしかった。やはりわけがわからない。いったい何のつもりなんだ。 「おまえ…本気でサガを殺すつもりか…?」 「そうですよ」 やけにあっさりとした答えが返ってくる。 やっぱりこいつ…サガのことを憎んでるのか?オレはムウをまじまじと見た。ムウは驚くほど迷いのない顔をしている。許せないだの殺したいだのという負の感情はみじんも感じない。むしろこいつがこれから死地にでも赴くような…。 「…そんな…殺したいほど憎いのか?」 ムウは目を閉じると静かに笑んだ。そしてはっきりと言った。 「…それが…サガの望みなので」 え?なんか似たようなことをさっきも聞いたぞ? 「…待てよ…サガもおまえのために討たれるとかそんなようなこと言ってたぞ!?」 まさか二人とも相手のためによかれと思って最悪の選択をしてるんじゃあるまいな。揃いもそろって考えることが極端なうえに、やってしまうらしいからな。ありえない話ではない。 「…本当にわたしのためだと思いますか?」 しかしムウは冷静だった。…そうだ。サガは…そういう男だ。ムウのためといいつつやっぱり自分が死にたいだけか。我が兄ながら頭が痛くなってくる。昔からひとつも変わってない…いや、変わったところがひとつだけあったはず。 「…そうだとしてもだ、あいつは、いまのサガなら、おまえが頼めばなんだってしてくれるだろ?仇討ちなんかやめて、このままずっと二人で幸せに暮らせばいいじゃないか」 ムウが驚いたような顔でこちらを見た。 「ずっと…幸せに暮らす?そんなこと…発狂しますよ、サガは。すでに戦士として不名誉な生をあえて選んでいるのですから。わたしたちは…おっと、わたしたち、という言葉すら、サガは許していない。サガとわたしの間には、本来なら何もあってはならない。…少なくともサガがそのことで苦しんでるのは事実…」 「そんなの自業自得もいいとこだろ。ほっとけよ。おまえはそれでいいのか!?おまえの気持ちは…おまえは」 オレは「つらくないのか」と言いかけてやめた。寂しいだの悲しいだのそんな言葉はたぶんもうとっくに別の次元に置き去りにされている。 「…感情は…たまに思い出して気が狂いそうになることもありますが、感覚が麻痺してしまって、何も感じません。昨日は思いもかけないことがあって…あなたにも醜態をさらしてしまいましたが」 ムウの表情から温かみが消えていた。その大きな瞳は何も映してないように見える。ムウが許せないのはサガというよりムウ自身だろうな。こいつはそこまでサガのことを…。 「…ムウ」 オレはそれ以上訊くのをやめた。こいつもギリギリのバランスでどうにか立っているようだ。下手に崩すと大怪我をするだろう。まったく…サガの野郎…。そしてそんな奴に付き合うなんてムウもムウだぜ。 「そういうことですので」 「待てよ」 オレは去ろうとしたムウの手を思わず掴んでいた。ムウは一瞬だけ困惑の表情が浮かべたが、すぐに礼儀正しい笑顔にもどるとそのままオレの手を押し戻そうとした。オレはその手も捉えてこちらを向かせる。オレたちはまがりなりにも手を取り合って見つめ合っている形になった。オレは考えるよりも口が先に動いていた。 「…じゃ、仇討ちとやらの本懐を遂げた暁には…」 「なんです?」 「オレんとこ来ないか?」 「お断りします。その顔見てたら、結局本懐を遂げられなかったみたいで嫌です」 まじまじとオレの顔を見たうえで、ムウの奴、即答しやがった。 「違いない」 「フフ…」 「ハ…ハハ」 …うん、もうオレも笑うしかない状況だぞこれ。さわやかにきっぱりとフられた。ハハハ。しかしムウのさりげない笑顔もいいな。サガが血迷うのもわかる気がする。オレもどうやらこいつから目が離せないでいる。 「そもそも、わたしはあなたに『要らん』と断わられたはずですけれど?」 ムウがいたずらっぽくオレを見つめる。呼吸が止まるくらいの破壊力だ…ちょっとまて。思考すら止まっていたオレは一瞬混乱した。ああ!?さっきのサガと話したことか。そしてそんなこと覚えてるってことは… 「それは…」 「カノン!何をしている!!」 いいところでサガが入ってきた。人にはノック云々とうるさく言うくせにいきなりだ。 「サガ…!」 ムウはあっさりオレの手から逃れ、サガに駆け寄った。 そう…だよなと思いつつオレは複雑だった。我ながらそこそこいい雰囲気だったのに。あのままムウを無理矢理ベッドにひっぱりこんでもよかったんだぜ?そんな心優しいオレにサガは何を怒ってるんだか。 「カノンよ。まだまだおまえにはムウは譲れぬ…!いや、おまえになどムウはやれん!!まったく拳も甘ければ考えも甘い!!先ほどはわたしの弟であるのにムウの良さもわからぬ馬鹿とは…と思っていたが、その舌の根も乾かぬうちにムウに手を出すとは言語道断!ぐっ…」 「あまり大声出すと傷に障りますよ?」 ムウが抱きしめたからだろう、痛みにサガが言葉を詰まらせる。ムウの奴なかなか鬼だ。 「ムウは絶対にやれん。おまえにだけはな…!」 さらに訳の分からない捨て台詞を吐いて、サガはムウに連れられて部屋から出て行った。 その揺れる鳥頭を見ながらオレは沸々と対抗心が湧き上がるのを感じていた。 …サガの奴…「絶対に」…だと?言ってくれたな… 「絶対にダメだ」など、オレに火をつけたとしか思えない。 もし気づいてないならサガは本当に大馬鹿野郎だ。サガの、双子の弟。今オレはおそらく一番有利で、一番不利だ。 …だが。奪ってやる。サガの目の前で。この手で落としてみせる…。 だがあくまで兄への対抗心。色恋じゃあない。あんな壮絶な覚悟を見せられた後じゃ、恋なんか…。馬鹿馬鹿しくて。 オレは寝返りをうつ。 …まったく嵐のような朝…いやもう昼頃か。なのに不思議とちっとも眠くならない。 夜から、いや、昨日からずっと悪い夢でも見ていたみたいだ。 そういやオレがここに今こうして寝ていることだって、生きかえってからはどこか現実感がなかった。 だが今は、オレの体、オレの小宇宙、そして未だ痛む左頬が夢でないことを嫌というほど知らせてくれる。 …ああこの、空気が足りないような不安定な感覚。確かに腹も減ってるんだが、体の芯が満たされないこの感じ。 何かが確実に吸い取られた証拠だ… …だが多分これは、恋なんかじゃない…。 オレは何度目かの寝返りをうった。 目を閉じると彼方に海が見える。天使がラッパを吹き鳴らすと空と海が溶けあいながら輝く雲の間に吸い込まれてゆく。 取り残された太陽はその半分を慌ててぐるぐると探し始める…。慌ただしい世界の終わり。そのときオレのそばにいるのは誰だ…。 …これは…恋…なんかじゃあ…ない… 左頬に残るムウの小宇宙。まだ少し熱を帯びてかさついた皮膚に触れてみるとその感覚が心臓まで響いてくるようだ。 …なんだよ…もう。 …ガキじゃあ…あるまいし…。 だがなぜか止まらない。 オレはムウのぬくもりの残る右手に口づける。目を閉じると「また」と動く唇が、オレを誘う。押し当てた指にわずかにめくりあがる柔らかそうな唇。あれは反則だ。男のくせに、なんであんなにエロいんだ。一回ヤってみれば、幻想もとけるだろうか…などと考えてる時点でもう手遅れか。 ムウの奴。そんな小賢しい駆け引きさえしかけてくるのに思いつめたような瞳で強がる。何もかも諦めたふうに絶望を飲みこんで、束の間の希望に縋る。腹立たしいほど頭が切れるくせに、ふらふらと崖っぷちを歩いているようでもいて…まったく…放っておけない。 …これは……。 もうだいぶ波が…高い。 そのうち海はどこもかしこも大荒れだ。 ……。 わずかに起きてるオレの理性が、深入りはやめておけという。地獄だぞと。 確かに。そのとおりだろうな。 サガの奴は結局自分のことしか考えてないし、ムウの奴は自分のことを放り投げてサガのことしか考えてない。そういうオレはどうなんだと言われたら…笑うしかない。 …ムウ…か。 サガにとっては天使なのだろうが、オレにとってはとんだ悪魔だぜ… だがそれでもいい。 面倒くさいことになりそうだ…そう思いながらオレは楽しくて仕方がなかった。 * * * 次 戻 ****************************************** |
