サガだった。
薄暗く、その表情はよく分からないが、いつも通りの穏やかで冷たい声音だ。

「ご苦労だった、カノン」
カノンはそれには答えず苦しげに息をしている。
「…いったい…」
あまりのことにムウはそれ以外の言葉が出ない。
「…よく分かった。ムウ…おまえはそんなふうに…あの男をたぶらかしたのだな…」
ムウは茫然とサガを見た。 …まさか、すべてサガの計画だったのか。
「ふざけるなよ!サガ!…ムウは…!」
カノンは噛みつくように反論する。
「ふん、カノンおまえも情にほだされたか」
「ば…ばか言え」
「フッ…無理もない。ムウは可愛い顔をしているが…とんだ悪魔なのだから…おまえも良くわかっただろう」
「…おい!」
カノンに胸ぐらを掴まれてもサガは気にもとめない様子で言葉を継いだ。
「わたしも…この目で見るまでは信じられなかった」
「サガ…」
「信じたくはなかった…ムウ…おまえとあの男が…信じたくはなかったのだ…!」
繰り返すサガの呼吸が荒くなってゆく。
「兄さん…!しっかりしてくれ!!」
カノンに殴られたサガは後方の扉にぶつかると床に倒れ意識を失った。あの調子では自ら胸を突きかねなかったから、正しい判断だろう。ムウは倒れ伏すサガに駆け寄りたい衝動を必死に堪えた。



異様な静けさが漂うなか、三人はしばらく身じろぎもしなかった。
「来いよ」
沈黙を破ったのはカノンだった。
「しかし…」
「…来てくれ」
近づくとカノンはやはり静かに涙を流していた。ムウの指が腕に触れると、一瞬カノンは体を強張らせたが、すぐにその手を取った。拒む気力もないのか、ムウはされるがままその体を寄せる。
「…わたしのせいで…サガは…」
ようやく絞り出した声は細くかすれている。カノンはムウの手を握りしめると言った。
「…オレもおまえのせいだとばかり思っていた…だが、そもそもサガの、そしてオレも……いうならばオレたちのせいだな」
もはや誰が悪いのかなど何の意味もなかった。今にも狂い死にしそうなサガをなんとかせねばならない。
「…どうして…サガはなぜこのような…」
ムウは努めて冷静に思考を廻らせた。そもそもムウともう一人のサガの関係など…なぜ今になってサガはカノンに探らせるようなマネをしたのか。
「『気づいた』といっていた…」
カノンの話によれば、サガの教皇時代の記録を見直すと、ある時期以降、聖域の討伐対象からアリエスが外されていたらしい。名目も「反逆者」から「修復師」に書きかえられていた。 それにより戦果の如何に関わらず、ムウは生き延びることになる。明らかに意図的な改変であり、それはサガによるものでなければあの男の仕業であった。
「…まさか…そんなことが…」
ムウはにわかには信じ難かった。「おまえを真っ先に血祭りにあげてやる」、というのがあのサガの口癖だったからだ。
カノンは続けた。
「サガはお前の言葉でますます疑いを濃くしたと言っていたが」
「それには思い当たる節があります。いつか『どんなサガであっても愛する』と答えたことがありました」
「…まるであの男を擁護しているような言い草だな」
「ですが…あのひとも…!」
「だからそんなふうに呼ぶのはよせ!…オレですら妬く」
「は?」
「いや、なんでもない。今はとにかく、サガだ。おそらくすぐに目が覚めるだろうが、そのときおまえがいたら…ただではすまんだろう。とっととここから去れよ。できればヒマラヤだかに帰れ」
「嫌です」
「なに?」
「わたしはここに居ます。サガが狂うのならこの目で見届けなくてはならない。自死しそうなら止めますし、 わたしを手にかけるならそれはそれで本望」
「…おまえ…」
カノンは大きなため息をついた。
…ムウは頑固だとは聞いていたがここまでとは。

カノンはそもそもの疑問をぶつけてみた。
「…よりによって…なんでサガなんだよ。おまえなら他にもいるだろう?」
「いませんよ。何度か寝たとしても他は皆遊びです」
「…オレとも、か…」
「え?」
「なんでもない」
「なんですかさっきから!いいたいことがあるならはっきり言ったらどうです!?」
…ムウ、こいつはいったい勘が鋭いのか、鈍いのか。カノンは嘆息した。
「…だからなんでサガなんだよ!」
一方ムウは理解に苦しんでいた。…なぜこのカノンはこうも激昂するのか。自分はサガを愛している。そんなことは当たり前ではないか。しかしその理由についてはムウ自身も説明に窮していた。
「理由が…知りたいのですか?」
「ああ」
適当にはぐらかしてもよかったが、目の前のカノンは真剣そのものだ。ムウは慎重に言葉を選んだ。
「物心ついた頃から…わたしにとってサガはすべてにおいて敬愛できる相手でした。シオンのことはいまだに個人的には許せないですけれど…」
「許せない…?ならなぜ…」
「…知っているくせに訊くのですか」
ムウの声が急に小さくなる。カノンはうつむくムウの肩を掴んだ。
「言えよ」
「…可能な限りの対象を実際に比較検討した結果、ある程度、客観的な値に基づいて言うのですが」
ムウの不可解な前置きにカノンは眉根を寄せる。
「…サガの…いえ、サガが一番気持ちいいから、です」
「…は?……おまえそんな恥ずかしいことをサガに言ってるのか?」
「言うわけないでしょう!?!」
思わず声を荒げたことに恥じ入りながらもムウは続ける。
「…精神的には一番辛くもあるのですが…それも含めてこたえられないのです」
「………」
さすがのカノンも二の句が継げない。ムウの肩を掴む手が力なく離れた。
「正直に話しましたよ」
「…正直すぎ…だぜ…」
カノンは頭を抱えている。
「あなただって最初、サガの身体がどうのと、言っていたでしょう?」
「あれはサガの台詞のままだ…」
「道理で…」
「なら…オレはどうなんだ」
「は???」
「いつも無理矢理ヤられておまえめちゃくちゃ感じてただろ?」
「うっ…そ…それは……そういうあなたこそわたしが嫌いなのでしょう?!」
「くっ…そ…それは……あんな声出されたら誰だって血迷うわ馬鹿野郎!!」
「おまえたち…」
「サガ!」
「兄さん!だ…大丈夫か」
とうとうサガが起き上がった。ダメージはないようで、落ちついているように見える。見守る二人に、サガはおもむろに言葉を継いだ。
「…ムウ、そしてカノンよ。おまえたちの状況は分かった。かくなる上はわたしも考えを改めなければならない。…ムウ、ひとつわたしの頼みを聞いてくれるか?」
「もちろん、わたしに出来ることなら何でもします」
「では、いま一度カノンに抱かれてくれ 」
「…え」
「なっ」
「わたしの目の前で、だ」
「兄さん…オレは!」
「カノン、おまえの気持ちはわかっているとも。おまえ自身も楽しんでいたろう?ムウを」
「う…」
なぜか言葉に窮するカノンを横目にサガはムウに優しい声をかける。
「ムウ、それが終わったら…おいで」
「サガ…!」
「おまえ…そんなあからさまに嬉しそうにな…」
カノンは低く呟いたがムウの耳には届いていないようだ。

ムウは立ち上がるとカノンのほうを向いた。昇り始めた月明かりが窓からこぼれその丸い輪郭を白く縁取る。
「カノン、わたしならどんなに酷くしても大丈夫です。遠慮なく、好きにしてください…」
ムウはカノンの前でおそらく初めて自らストールを外した。透き通るように白い、その喉元と肩口があらわになる。そこにはカノンの欲望のあとがまだ生々しく残っていた。 ムウは髪を解いた。夜目にもはっきりとわかる色香にカノンはいまさらながら軽いめまいを覚えた。しかしそれでも伸ばしたムウの手を払い、カノンは背を向けた。
「悪いな。天邪鬼なんだよ、オレは」
そう言うと執務室から出て行った。

「フ…完全におまえに惚れてしまったな。バカな奴だ」
サガが嘲笑う。カノンもサガにだけはそんなことは言われたくないだろう。
「何…ですって!?まさかカノンが…」
思わずドアに駆け寄るムウをサガが引き止める。
「奴を追うのか?このわたしを置いて…」
「サガ!カノンはあなたの弟ではないですか?こんな仕打ち、もしその話が本当ならあんまりではないですか?」
「構うものか。カノンこそわたしに悪の心を植え付けたそもそもの元凶」
「まだそんなことを本気で思っているのですか」
サガはそれには答えず、ムウを見ると冷たく目を細めた。
「…おまえ、カノンとはだいぶ気が合うようだが…そんなに良いのか?わたしよりもか?それともやはりおまえは無理矢理抱かれるのがそれほど」
「いい加減にしてください!…どうしてしまったのですか、サガ…!」
明らかに正気を欠いたサガの言動にムウは困惑した。
いつも無理難題を言ってムウを責め抜くサガだが、今のはあまりに度が過ぎている。
「どうした、だと?わかっているだろう…わたしをこんなふうにしたのはおまえだ…」
「サ…ガ…」
分かっていたはずであるのに他でもないサガに断罪され、ムウの心臓が凍りついた。 …やはり、やはりそうであったか。
「そう…だ…これほど愛しているのに…おまえは…っ」
サガはふたたび苦しそうに喘ぎだす。
ムウはおもむろにサガの右手をとると、その拳を自らの胸元にあてがった。
「…ムウ」
サガは熱に浮かされたようにムウを見つめている。拳を収める気配はない。闇に輝く双眸は涙のせいか血のように赤く光り、もう一人のサガを思い出させた。
…あの男はこのような時でさえ、心から消えてはくれぬのだ。そしてそのたびにそれはサガに知れてしまう。もう、どうにもならない…。
ムウの大きな瞳からまた新たな涙がこぼれその頬が濡れた。
「サガ…」
ムウがその手に力を込めるとサガの小宇宙が揺らぐ。
ムウはサガを見つめ、静かに目を閉じた。






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