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夜を通して、シャカは館の外で待った。 これほどまでに朝が待ち遠しく思われたことはなかった。 夜明け前、ようやく人影が現れた。ムウだった。熱を持った体は明らかに情交の後と知れたが、 シャカは黙っていた。 「歩いて行こう。小宇宙を使うと気取られる」 飛ぼうとするシャカを引き止めると、二人は寄り添うようにまだ暗い町を後にした。 人家を避け、少年達は野原を、森を、乾いた大地を無言で歩いた。 空が白み始め、あたりの闇が黒から青に変化した。シャカは振り返り、後ろを歩くムウを見た。 薄絹のベールと夜着の合間から彫像のように白い胸元が視界に入った。 安堵したのもつかの間、その肌に点在する生々しい痕跡に、シャカは思わず声を上げそうになった。 あえて考えるまいとしていたが、ムウの体に行われた行為を思うと、血という血が心臓へ逆流し、 胸が張り裂けそうになった。彼は言葉を発さず、ただ歯ぎしりをするばかりだった。顔は青ざめ、 整った眉根は歪んだ。彼は醜業の動かしがたい証拠でもあるかのようなその美しい肉体を、鞭で 引き裂いてやりたいとさえも思った。 ふと、一筋の血筋がムウの脚から土の上に滴り落ちるのを見た。シャカは、雷鳴にでもうたれたか のようにうずくまると、彼の血の滴るその足に接吻をした。嗚咽がおさえてもおさえても唇をつき、 涙がとめどなく溢れた。それは神仏がムウに与えた贖罪のようにシャカには思われたのだ。 そして、ムウはそのような体の痛みを堪え、歩きなれない素足で自分に従ってきたのだと思うと、 シャカはその体を抱きしめ、そののちに抱え上げた。ムウは罵詈雑言を浴びせそれに抵抗したが、 傷が痛むのか、シャカに押し切られてしまった。 シャカは近くの河に入るとムウを浅瀬に下ろし、その足を洗い清めた。宝飾品を外し、染料の装飾を ひとつひとつ丹念に落としていく。 川面がオレンジ色の光を反射する頃には、シャカはムウの顔を拭っていた。眼の周囲の化粧が落ち、 淡い紫色の長い睫毛が現れた。その清楚な美しさに打たれ、シャカの手が止まる。 シャカの視線が不自然に長く自分の顔に注がれているので、ムウは居心地悪そうに眼を伏せた。 それを合図のようにして、シャカの手が瞼の色彩を洗った。その指が、ムウの丸い眉のあたりを 何度も往復する。 「これは・・・いくら擦っても落ちない」 「やはりそうか・・・」 シャカは、突如として不機嫌そうになったムウにどうしたらよいものか途方にくれた。 そのようなシャカの顔を見てムウは微笑んだ。朝日に照らされ、その頬や髪が薔薇色に染まる。 気がつくとシャカはムウを抱きしめていた。 ムウはシャカの腕の中でじっとしていたが、その眼差しにはどこか思いつめたような影があった。 どのくらいそうしていたことだろう。 「君は・・・」 ムウが口を開いた。心なしか頬が上気したように紅く、シャカは何事かと身構えた。 「ずっと眼を開いているけれど、小宇宙がなくなってしまわないのか」 「何を馬鹿な・・・・・・」 今度はムウが笑いながらシャカの細い腰に手を回した。 「君には感謝している」 耳元で囁く声を聞くとシャカの心臓はまた不審なほど高鳴り始めた。 「礼など不要だ」 二人は手早く沐浴を終わりにすると、岸へ上がった。はるか下流でガンジスに注ぐこの河は清く、 ムウは両手でその水を掬って喉を潤した。深く息を吐くと、シャカを見つめて言った。 「これほど清らかな水を飲んだことがない。これほど自由な爽やかな空気を呼吸したこともない。 そよと吹く風の中に、君の神様がいるようだ。」 「それは良いことだ」 答えながら、シャカは、己がムウの姿ばかりを追っているのに気付き、慌てて眼を逸らした。 二人は山麓まで歩いた。 先頭に立っていたムウは、振り返ると、これからこの山の中に逃れると言った。 「行きたまえ、君は自由だ」 「ありがとう。いつかまた会おう」 行き先も告げずに、ムウは姿を消した。シャカは追いすがりたい気持ちが己の中に起こるのを 他人事のように驚きながら、ムウを見送った。 next back |