scene3

わたしが部屋に戻ると、ムウは窓の外を眺めていた。
日はもう暮れかけている。うつろな瞳…ムウはすっかり疲労していた。
わたしは地下から酒樽を出した。古い酒、おそらくは蜂蜜酒か、それをムウの顔が赤みを帯びるまでたて続けに飲ませた。

「…わたしはシャカを……友だと思っていた」
ようやくムウは口をひらいた。
「友か。わたしには縁のないものだ。」
わたしも同じ酒をあおった。
「かつてのサガには友と呼べる人間もいた。が、わたしが殺した。邪魔だったからだ。それ以後あの男に友など出来たはずがない。奴は俗世に染まるのを嫌い、他人はおろか、わたしすらまともに見ようとはしなかった。わたしのほうも奴の怒りをあおるようなことばかり好んでしていたがな。…奴とはいつも敵対していた。いつもいがみ合いながらサガという男を形づくっていた。…少なくともわれわれは互いに孤独ではなかったな」

わたしは杯を干した。
「あの男はわずかな不正も許せぬ気質であったから、悪徳の塊であるようなわたしを、自分のかたわれなどとは認めたくなかったに違いない。先の戦いでも奴はわたしを邪悪として消そうとした。しかしわたしは生き残った…考えてもみろ。わたしもサガなのだ。正反対の二人が同じ肉体を持った、というよりもともとわたしと奴は一人の人間であったはずではないか。われわれは分裂した…それは宿命であったのかもしれん。しかし本当に分かれることなどできるわけがない。じきに奴はつまづいた。おまえに惚れたのだ。」
ムウは黙って聞いている。
わたしは注がれた酒をまた飲み干した。

「わたしにとっては欲望こそ生きている証であった。しかしサガはそれを卑しい、穢れたものだと考えた。奴はおまえへの欲望をどう処理していいかわからなくなったのだ。バカな奴だ。すべてをわたしのせいにしたかったらしいが、おまえへの思いを偽ることもできず――なにせあいつはそれを愛だと思っていたのだからな――その矛盾に耐え切れぬうえにどうあってもわたしと離れられぬと知り、奴は絶望した。くどくどと悩んだ挙句、サガは…あの男は自ら死を選んだのだ・…そうだ結局あいつは最後までわたしを拒んだのだ」

わたしは言葉を切ると一気に喉を潤した。
大きく息をついて杯を卓に置くと、なにか金属の軽い音がする。見れば銀で細かく意匠を施した飾り輪であった。わたしはそれを手に取ってみる。
…独特のきつい香…シャカか…
「奴がおまえに?」
「気が付きませんでした」
黙って置いていってしまったらしい。
わたしはそれを灯りにかざす。見事な銀細工だ。安物ではないことはわたしにも容易に見当がつく。
…が、これはむしろ女が喜んで身に付ける類のものではないか。
「こんなものを…!」
わたしはシャカの見当違いを笑った。 おかげで先ほどの湿った空気はすっかり吹き飛んだ。外はもう、すっかり夕闇に包まれていた。

「そういえばシャカは全存在をかけておまえを想っているとかほざいていたな」
「あなたは…そうではないと」
「もちろんだ」
わたしはムウを見た。
わたしが愛しているなどと言おうものなら多くの人間が有頂天になるものだが、しかしわたしはこの男にそんな嘘はつきたくなかった。そういうとムウはその言葉がかえってうれしいとさえ言った。
…つくづく奇特な奴だ。
わたしは気をよくし、話を続けた。

「わたしがおまえと一緒にいるのもたいした理由はない。ただわたしはそうしたいと思うからここにいるのだ。けしておまえを愛しているからではない。それをサガの奴は…あのバカは死んでも治らんと見えて、わたしもおまえを愛しているに違いないなどと決めて悦に入っているのだ!」

「愛などという言葉はわたしには最も縁遠いものだ。わたしもサガもそんなものは知らずに育った。サガはおまえを誤解し、それを愛だと思い込んだ。そしてそれを大切にするあまり頭がいかれて死んだ。…一体なんなのだ。愛とは。結局得体の知れないものに振り回されていただけではないか。わたしはそんなものは信じぬ。わからぬものを認めようなどとわたしは思わぬ。確かなものはわたしがしかと識ることができるものだ。…わたしが信じるところのもの、無論、神ではない――それは真理だ。フ…虚言を弄しているわけではないぞ。なに、単純なことだ」

わたしはムウのほうに座りなおした。酒樽の酒はもうなくなっていた。わたしは構わず喋りつづける。

「命あるものは死ぬ。これはこの世での数少ない自明の理であり、信ずるに足りるものだ。そして強さ。これこそが唯一価値のある真実なのだ。ゆえに、美すらも、本来強さを兼ねていなくてはならぬ。時の流れに耐え色褪せぬ強靭さ、それこそが美だ。…ムウよ、おまえが冷淡でなかったら、頑なでなかったら、わたしはけして、おまえを美しいとは言わぬ。欲しいとも思わんだろう。」

「真理…この単純にして唯一の奥深いものがおまえにはわかるか。サガもシャカも本や瞑想によってこれを得ようとした。そこがまず間違っているというのだ。大体にして人間が手に入れた知識などたかが知れている。宇宙の真理は小宇宙であるわれらが中にこそあるのだ。サガのように自分の内面をも鑑みることのできない奴は問題外だ。他人がどう考えようと知ったことではない。わたしはわたし自身の中から生命そのものの原理を突きとめてゆかねばならぬ。思うに、生命の最も根源にして、普遍なるものは欲望なのだ。愚かにもサガはこれを押し殺し、ついに自らの首を締めるに至った。欲望は存在のための動機だ。それなくしてはなにものも始まらぬ。そしてそのあらゆる存在を総べるもの、それが力なのだ。強さは真実であり、わたしをして信じさせるに足りる真理なのだ。救いだの愛だのは所詮、弱者の妄想にすぎん。サガは死んだ。唯一すがっていた愛、とやらに裏切られてな。わたしは愛など知らぬ。よもやそれが存在するにしても、そんなものはわたしにとって塵ほどにも役にたたぬものなのだ」

わたしはムウの視線を感じ、ふと、我に返った。
いつのまにか、サガにするようにひとりで喋っていたらしい。
わたしはきまりが悪くなった。
…なぜ、この男にこんなことを話してしまったのか。

「喋りすぎた・…悪い酒だ・・」
ムウは、それは小さな声で、しかし感慨深げに呟いた。
「あなたは・…わたしと似ている」
「なに寝ぼけたことを言っている」
…酔いが回ったのか、ムウが微笑んだように見えた。

ムウはわたしに顔をむけたまま、ほどなく眠りに落ちた。
その寝顔を眺めながら、わたしはさっきの言葉を思い出していた。
…言うに事欠いてわれわれが似ているだと?なにを一体…わたしほど、こいつとかけ離れた人間は居ないだろうに・・そもそも、わたしはムウの師の敵ではなかったか。

寝台に入る。刹那、何か血の予感がした。
わたしは灯りを消し、ムウの肩を抱いて眠った。




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