*   *   *



教皇の間は変わらず立ち入りが禁じられていたが
シオンは強引に守りを突破し、扉を開けた。
そこでは一人の黄金聖闘士が跪き、謁見をしていた。
双子座であった。
「牡羊座。下がれ」
仮面の下からも良く通る声…久々に聞く師の声に反射的に身を引いた途端、
シオンの目の前で扉が閉じられた。

シオンは閉じた扉を睨みながら待った。
双子座…かつて教皇の座を師と争ったほど仁智勇に優れた実力者。
だが神のような男と噂される双子座がどれだけしたたかで計算高いかを
シオンは知っていた。その権力志向も並外れているようである。
確かに参謀にはうってつけなのかもしれなかったが、ふとした言葉の端々に
その自意識が見え隠れするのを、シオンは常々不快に思っていた。
…そして彼奴は先ほど、自分の姿を認めて、師との会話を中断したのだ。
まったく不愉快極まりない…


憤慨するシオンの前で扉が開いた。
シオンは玉座の前に進み寄ると、絨毯に膝を付いた。
「…お話があります」
「申せ」
用件が終えたはずの双子座を、師は下がらせなかった。
確かに人払いを頼んだわけではない。
だがそのことがシオンをひどく傷つけた。

童虎に言われたように報告をすると、意外にも師は驚いた様子を見せなかった。
…やはり別の経路で情報が回っているのかもしれない。
師はそれを言うことはなかったが、代わりにシオンを問い詰めもしなかった。
しかしシオンも、師に会える嬉しさに童虎の策の片棒を担いでしまったからには
真実を隠さざるをえないのだった。
シオンは自分と師とが、黄金聖闘士と教皇とに変わってゆくのを感じていた。
「ご苦労であった。…下がれ」
「教皇…!」
耐えがたい感情に任せて、シオンは言葉を返した。
「用件は済んだのであろう」
「いいえ…!」
双子座の視線を感じながらシオンは言葉を継いだ。
「わたしは…弟子として…師のあなたとお話したいのですが」
あまりに場違いな発言であるのは分かっていた。
だが、この機を逃せば、次はない…そんな予感がシオンを駆り立てていた。

「では…わたしは失礼いたします」
「その必要はない。双子座」
師が双子座を引きとめた。シオンはついにその感情を爆発させていた。
「教皇!あなたは…」
「牡羊座、控えよ」
「いいえ。あなは…あなたはいつまでもわたしを弟子だとおっしゃってくださった。
なのに その弟子にもはや抱擁も口付けもしてくださらないのか…!」
「……」
「お答えください…我が師!」
師の名を口にしようとした瞬間、教皇は立ち上がると命じた。
「その名で呼ぶのを禁じます。いいですね。…シオン」
名を呼ぶことを禁じるとはどういうことだ。
しかしその声音は確かに二人でいるときのものであり…何よりようやく、自分の名を呼んだ師に、シオンは迷いながらも従うしかなかった。
「…わかりました…教皇」



「やはりわたしはここで…」
沈黙を破ったのは双子座の席を辞する言葉であった。
双子座は先に立ち上がって背を向け後退したが、扉の前でシオンを待った。
共に教皇の間を後にするためである。
「牡羊座、…下がれ」
「教皇。敬愛の口付けを御手に」
膝を折って、西欧式に騎士の礼をとると、師は無言で左手を差し出した。
シオンは恭しく両手でその手を頂くと、手の甲に口付けをした。
刹那、僅かに師の手が震えた気がした。

師の滑らかな肌…懐かしい香り…シオンは思わずもう一度深く、口付けた。
舌先の濡れた感触に驚いて退こうとした師の手首を掴み、シオンはその指を口に含んだ。

無理に引き離そうとすれば磨かれた爪がシオンの柔らかい口腔を裂く…
その一瞬の躊躇に逃げ道を塞がれ、長い薬指は根元まで深く飲み込まれた。
柔らかく脈打つ血管に、花弁のように細かい肌理のある指の腹に、
修復のため僅かに堅くなったその節に、シオンは舌を這わせた。

師の手が、否、体が小刻みに震えている。
仮面をつけているからその表情は知れない…だがシオンの行きすぎた行動を止める様子はない。
シオン自身もなぜそれをしたのかは分からない。
だが沸くような悦びに包まれながらシオンは師の指を愛した。
「…っ」
指の付け根に舌先を押し当てると師の呼吸が乱れた。
「…シオン!」
軽く歯を立てると堪えきれなくなったのか小さな声が上がった。
思わずその仮面を見つめると師はその視線を外し、擦れたような声で囁いた。
「やめよ…私たちは………師弟ではないか…」
それを合図にシオンは師の指を解放すると、しっとりと汗ばんだその掌に口付けを落とした。
「…わたしは…」
「やめよ」
その手が戻されるのを、シオンは今度は引き留めなかった。
言葉は遮られたが、自分の想いは余すところなく師に注がれたはずであった。
そして…師の矛盾する言動の理由は分からないが、それでも師にとっては未だ自分は弟子であったのだ。

立ち上がろうとすると後ろから聖衣の肩を掴まれた。
「双子座…」
「悪ふざけが過ぎるぞ。牡羊座」
口調は穏やかであったが、弁解を許さぬのものだった。
師に触れえたシオンは、素直に再度膝を折って礼をすると、
双子座とともに教皇の間を後にした。



二人の姿が扉に消えるやいなや、教皇は玉座に崩れ落ちた。
仮面を外し、高揚した顔を抑え、乱れた息を整える…。
双子座がいなかったらいったい自分はどうなっていたことだろう。
動悸が収まらぬ胸を抑え、教皇は低くうめいた。
手首が、甲が…指が。シオンに触れられたところがひどく熱い。
何よりシオンの柔らかい舌の記憶がその体を狂わせる。

…いつまでも子供だと思っていたのに…何処であのようなことを覚えたのか…
指から流れ込んだシオンの小宇宙に、封じ込めたはずの想いが湧きあがる。
苦悩とも悦びともつかぬ激しい感情に胸を甘く切り裂かれるようだった。
迷いのない眼差しで、愛弟子は自分の全てを求めていた。
搾り出した拒絶の言葉は抜け殻のように軽かった。

どうしたらよいのだ…どうしたら…
…既に答えの出ている問いに何故これほど苦しめられるのだろうか。
今一度迷いを振り切るように大きく息を吐くと、教皇は仮面をつけた。
「このようなことではいけない」
そうだ、事態は差し迫っている…戦いは近い。
教皇は静かに玉座から立ち上がった。







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