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* * * 教皇宮を抜けたところで、先に進んでいた双子座が歩を止めた。 「牡羊座…わざわざの報告ご苦労だったな」 労をねぎらうかのような穏やかな物言いだったが、白羊宮の守護を放り出して教皇の間へ乱入してきたシオンを言外に咎めていた。 「雑兵の噂話とはいえ…ただならぬ事態と判断いたしましたので」 慇懃に応えると、双子座もまた柔らかに返した。 「その雑兵とは…黄金聖衣など着てはいなかったか?」 シオンの歩みが止まった。 「何を嗅ぎまわっている牡羊座」 「貴様こそ何を知っている双子座…」 張り詰めた空気に風が凪いだ。背後を見せているにも関わらず双子座のこの余裕は何なのだ…シオンは間合いを計りながら思った。 「…まあ良い」 そう言って振り返った双子座はいつもの偽善者めいた笑みを浮かべていた。 だがその口から出た言葉は意外なものだった。 「あまり…教皇を困らせるな」 「何だと?」 自分が何故師を困らせているというのだ。シオンは混乱しながらも双子座の話術に乗るまいと身構えた。 「聖域の不文律を知らぬわけではあるまい…まあ、私闘ばかり繰り広げているおまえには無縁かもしれんが」 シオンの脳裏に遠い日の記憶が蘇った。そうだ…聖域で禁じられていることは二つ… 幼い自分には良く意味も分からなかったあの戒め。 「まさか忘れていたわけではあるまいが」 「実際忘れていた」とも答えられず、シオンは目を伏せた。 …師弟ではないか… 師の言葉の真意を悟ったシオンの耳に双子座の言葉は聞こえていなかった。 「教皇のことも…わたしにまかせておけばよい…」 沈黙を諾と解したか、踵を返すと靴音を響かせて双子座は去った。 その長身が階下に消えても、しばらくシオンは動けずにいた。 * * * その夜。 スターヒルから宮へ戻るテラスで教皇はふと、立ち止まった。 そのバルコニーからは十二宮が一望できる。 はるか眼下の白羊宮を見つめ、教皇は長い睫毛を伏せた。 僅かに癖のある藤色の長い髪は夜の闇に解けて薄桃色に輝き、星明かりを浴びた白い肌はほの蒼く陶器のように見える。 「そのような憂えた顔などするからいけない」 振り向くと双子座が立っていた。火急の場合に備え、双子座には教皇宮への出入りを許していた。しかしこのような深夜に、気配を消して近づくとは尋常ではない。 「…何事か」 それには答えず双子座は歩みを進めた。振り向いた教皇の頬に夜露に濡れた髪が、幾筋か弧を描く。黒い法衣がかえってその花のような愛らしさを際立たせている。 「あの若造が血迷うのも無理もない…」 「何を…?」 「いや、何でも…ありません」 不穏な言葉を笑い飛ばしながら双子座は教皇の背に手をかけた。 「こちらへ」 促されるままに回廊を進むと暗い廊下に通された。 「ひっ…」 闇に現れた人影は、乙女座の黄金聖闘士だった。 短い悲鳴を飲み込むと、教皇は思わず双子座の袖に縋った。 「わたしがお慰めしてもよいのですが」 その双子座の言葉にまた慌てて手を離す。 「どういうことだ!」 教皇は双子座と乙女座を交互に睨みながら詰問した。 「わたしを謀ったのか?」 「まさか…。わたしも僅かだが経験があるが…教皇とは激務のうえに孤独な役職。それを支える者がいても良いと思うのだ」 双子座の口調は臣下のそれではなく、年長の同僚のものに戻っていた。 「この非常時に何を…」 「このような時だからこそ、敢えて図ったのだ」 「な…に…」 「おまえたちは愛し合っているのだろう」 ありえない展開に教皇は言葉を失う。誰がそんなでたらめを…。 「心遣い感謝する、双子座」 振り返ると乙女座が菩薩のような笑みを浮かべている。 この男が勝手に双子座に嘘を吹き込んだのは疑いようもなかった。 「禁欲も過ぎると毒だ…無論回りの連中にも…」 「あ…」 それがシオンとのことを指しているのは明白だった。この男に自分の今日の醜態が見られていたことを思い出し、 教皇はただ恥じ入るしかなかった。 「あまり時間もないのは分かっているだろう…悔いのないようにな」 もはや何を言っても無駄と教皇は目を閉じた。むしろ乙女座との事を双子座に説明するほうがよほど屈辱的だった。 「双子座…もうよい、下がってください」 双子座の気配が消えると、乙女座はその青い瞳をこちらに向けた。 「逃げる気かね」 「逃がす気などないくせに」 すでに教皇の周囲には円形の、乙女座の結界が敷かれていた。 「さっさと済ますがいい。わたしは明け方また星見に上らねばならぬ」 「久しぶりの逢瀬というのに冷たい言葉だな」 何が逢瀬だ、と目の前に迫るその顔を睨むが、すぐさま唇をふさがれる。 その口付けに…シオンに触れられたときのような熱さは感じない。 しかし冷たいその舌は教皇の神経に絡みつき、容赦なく快楽を引きずり出してゆく。 心なしか性急な唇が首筋に移動する頃にはその体は壁際に押し当てられていた。 必死に声を殺す様子を嘲笑うかのように乙女座が耳元で囁く。 「あの日の君は素晴らしかった」 「言うな!」 思えばあの朝。全ての歯車が狂ったのだ。 女神の言葉が思い出される。 …だがやはり…やはり無理だ……この男を受け入れることなど…! 「…っあ」 舌で嬲られていた耳朶をつっときつく噛まれ、ついに嬌声が漏れた。 その声は廊下にうわんと響き、教皇は思わず顔をそむけた。 「全てを受け入れると言っていなかったかね」 「言った…だが…」 乙女座の手が法衣の中をまさぐる。 頑なな態度とは裏腹にこの男の体の正直なこと。 「待ってくれ」 「断る」 軽々と片足を担ぎ上げると乙女座はその身を沈めた。 教皇のきつく閉じられた瞳から涙が落ちる。 久々に目にするその涙は乙女座の心を二つに裂いた。 何が悲しくて泣くのだ……だがなんと美しいのだ君が苦しむ様は。 快楽と痛みが擦れ会って内面が悲鳴をあげるも、結局はこの哀れな男を泣かせ貶めたいという狂気が乙女座を支配した。 そしてこの男もまた…その哀しみを塗りつぶすかのように身を委ねるのだった。 けして交わることのない想いを、乖離した心と体を、熱い肉が辛うじて繋ぎ止める。 どれほど体を重ねても、満たされることのない飢え。 …分かりきっていたことではないか… 背後から逃げようとする腰を抱え奥を貪りながら乙女座は眉根を寄せた。 深すぎる追求に藤色の髪が激しく揺れる。しかしそれでもその慣らされた体は確実に頂きを経たようだった。その髪を 掴み、露わになった首筋に歯を立てながら乙女座は果てた。 暁がその薔薇色の指を神殿に差し伸べる頃、乙女座は目を覚ました。 汗と体液とでボロ布のようになった黒い法衣が己の体を覆っていたが、 教皇の姿はすでになかった。 * * * next back |