*   *   *





「シオンを…ジャミールへ?」
言葉を返すと双子座は深々とその頭を垂れた。
教皇の間を独り訪ねた双子座とは女神の託について話したばかりであった。
ジャミールは、冥王を封じた塔をその地に守る自然の要塞であり、 聖域にとっては第一の砦である。無論、その地には数ヶ月前から白銀を派遣していた。シオンにとっては故郷、地の利は知れている。だが…なぜ今黄金を遣るというのか。
「白銀では荷が重いと申し上げているのです」
聖戦の時は定まらない。北極星が動いてからでさえ戦いまで数年かかることもある。
しかしそれを鑑みても今の冥王軍は不審なほど静かだった。ハーデスの依代と目される人間が現れても、彼を守る魔星は沈黙したままである。
「動くのは東からかもしれません。それに…」
双子座は声をひそめた。
「怪しいのは東方ばかりではありません。昨日の牡羊座の話…あれは本来知られるはずのないもの」
「それは…」
言葉を濁す教皇に双子座は語気を強めた。
「もし牡羊座に反逆の意あらば誅殺してもよろしいですか」
「双子座!」
昨夜無理をしたせいだろうか教皇の声はかすれ、低い声が出ないようである。
「いつまでも子供と侮れますまい」
教皇の白い頬にさっと朱がさす。あまりにも分かりやすい反応に、双子座は苦笑を漏らした。
「…本当に、弟子のこととなると我を失う方だ。万一の場合と申し上げたまでです」
安堵か、憂慮か。短い息を吐き目を伏せ思案する教皇は、夜を通して愛されたせいか、やけに艶めいて見える…これでは他では仮面を外させられぬ、と双子座は思った。
「分かった。シオンには様子を見にゆかせよう。異変があればすぐに戻るように…聖域の守りが崩れるのは好ましくない」
「御意に。…ところで…お加減でも悪いのですか」
頬の赤みが引いたせいか、いつにましてその肌の白さが目をひく。
「大事無い」
仮面をつけるために身をかがめた瞬間、穏やかな小宇宙の中に針の先のように光る殺気を感じ、教皇は身を翻した。その白い掌に双子座の光速拳が防がれている。
「さすがだ」
「何のつもりだ双子座!」
拳圧からして手加減のない攻撃であることは知れた。
「あの若造などいなくとも…牡羊座にはあなたがいる」
「シオンを…捨て駒にするというのか」
「人聞きの悪いことを…聖域にいたとしても白羊宮では同じこと…」
教皇の脳裏に白羊宮で散った亡き師の最期が甦る。
その空隙に双子座の掌が鳩尾に滑り込んだ。
「ゆっくりと休むがいい」
腕の中に倒れる教皇を軽々と抱えると、床に落ちた仮面を拾い、双子座は姿を消した。



*   *   *


シオンが呼ばれたのはその日の午後だった。
…たった一日ばかりで、面構えが変わっている。
双子座は、改めてその顔を見つめた。
頬の丸さが僅かに失われたせいで面差しが大人びた。
何よりかつて激しい気性をそのまま映していたその瞳に揺らぎがない。
その視線はまっすぐに空の玉座を見据えていた。
「教皇は気分がすぐれず休まれている」
無言で双子座を見やるその眼差しは射るように鋭い。
頼もしいことだ・・と双子座は心中で笑んだ。
「ジャミールの監視に行くようにとの教皇の仰せだ」
「…分かりました」
シオンは意外にも諾々と命を受けた。
「言っておくが…牡羊座」
去ろうとしたシオンの歩みが止まる。
「くれぐれも勝手なマネはしないことだな」
「忠告のおつもりか」
「教皇の御言葉ではなくて残念だが」
振り返りもせずに牡羊座は立ち去った。



何かただならぬものを感じてシオンは階下を急いだ。
気分がすぐれぬだと?…そんな理由で玉座を退く師ではない。
仮にも黄金聖闘士に勅を命ずるのに、である。
そしてその黄金聖闘士とは他でもない弟子の自分であるというのに。

…まさか、自分だから、か…?
よもや度を過ぎた昨日の振る舞いに腹をたてているのか?
…ありえぬ。シオンは自分の子供じみた発想を笑った。
昨日までの自分は、あのとき死んだのだ…。
そう言い聞かせて昨夜は泣き明かした。
禁忌など構うものかという気持ちと、そんなつまらぬもののために自分は拒絶されたのかという思いが交じり、シオンを苦しめた。
明け方、そのような弱い己に嫌気がさし、 シオンは自ら想いを封じた。
先ほど師の姿を見られなかったのは残念だったが、どこか安堵したのも本当であった。
腹を決めた…だがどのような顔をすればよいのか。
師に会ったら、その声を聞いたら自分の決意などどうなるかも分からなかった。
愚かな…
湧き出た迷いを振り払うかのようにシオンは足を速めた。
師の小宇宙は遠いが、無事ではあるようだ。
休んでいるのだろうか。なぜ…



「何故だと思う童虎」
「都合の良いときだけ頼るのう」
「都合がいいから頼っているのだ!」
宮に走り入ってきた途端、これである。そして撞着も気にせぬ様子で問う。
まったく人に乞うことを知らぬ男だ…童虎は友の隣にゆったりと座した。
「そういや昨晩…」
「何だ!」
「乙女座が宮を昇っていっての。久しぶりじゃったからわしは後をつけてみたのだが…」
「…何を見た」
「わしが見た限り教皇とは相思相愛といったふうではなかったのう」
「そんなことを訊いているのではない!」
「大胆にも教皇宮の廊下でのう…」
童虎は年に似合わぬ含みのある笑みを浮かべた。
「な…何…」
シオンのまなじりが極限まで釣りあがっている。
「双子座と乙女座に挟まれておった」
「な・…っ」
声が裏返った。シオンは思わず童虎に背を向ける。
「それが女人のようなえもいわれぬ色香でのう…聞いておるかシオン」
「もう…もうよい童虎」
シオンの声音には失望の色がにじんでいだ。
「教皇を…蔑するか」
「当然だ」
「ではおぬしは清いのか」
抑えがたい憤りで上下していたシオンの肩が、ピタリと止まった。
「心で姦を犯したこともないかと訊いておる」
「……」
シオンは言葉を失った。
あの朝以来、ただただ美しいとあがめていた師の白い肢体が脳裏に現れてはシオンの若さを苛んでいた。白い足首を掴み己の欲望を注ぐと師は甘い叫びをあげて身をくねらせ…
シオンの心中を見透かしたように童虎は続ける。
「いやあ、法衣から覗く白い指先がたまらんのでの」
指先…自分はなんということをしたのか。シオンは改めて昨日の己の行動を了解した。
…師を犯したに等しい暴挙である。
「あのお顔に仮面じゃ。実は女教皇で…と想像をたくましくしての…わしは随分世話になったものじゃ」
「くだらんことを!」
ついにシオンが振り返った。童虎は正気を戻した友の顔を見ながら続けた。
「そうじゃ。くらだんことじゃ。だがおぬしもとらわれているのは同じじゃろう」
憮然とした面持ちのまま、しかしシオンは無言で友の脇に腰を降ろした。
「…ジャミールに行く」
「ほう…双子座に暇を出されたか」
「監視だと。どう見る?」
「里帰りのついでというわけでもなさそうじゃの」
「さすがに行かねば様子も分かるまいか…」
「今日は白銀からまだ知らせが来ぬ。油断大敵じゃ」
いつの間に見張りを手なずけていたのか…訊いても言わぬだろう。
「ついでに親孝行でもしてきたらよかろう」
「たわけ」
シオンはおざなりに手を振ると友に背を向けた。
問題は一向に解決を見なかったが、胸のつかえが少し軽くなっていた。


日は山の端に差し掛かっていた。
白羊宮で身支度を整えるとシオンは東へ飛んだ。






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