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神謡 落描きを載せるついでに、まえにちらっと書いたクセノフォンでも。 (まさにとってつけた感100%) 『アナバシス』はクセノフォン/クセノポンが傭兵としてペルシア戦争に参加したときのリアル戦記(敵国脱出)ルポルタージュなんですが、ギリシア意識にあふれていて、端々でニヤリとせずにはいられません。で、当然のように同性愛ネタが、しかも少年愛ネタがあるのですが、もうこれ、超有名なので、星矢サイトではひっぱりだこだと思って今更感があるので紹介しなかったのですけどもやっぱり書いときます。 7巻4章の7〜11引用します。(『アナバシス−敵中横断6000キロ』、クセノポン著、松平千秋訳、岩波文庫 青603-2 2009(1993)、pp.330-331) 「さてオリュントスの出身で男色の性癖のあるエピステネスなる男がいたが、漸く青年になりかかった年頃で、小楯を持った美少年が殺されようとしているのを見ると、クセノポンのところへ駆け寄って、美貌の少年の命を助けてやってくれと嘆願した。そこでクセノポンはセウテスの傍へ行って、少年を殺さぬように頼み、エピステネスの性癖を説明して、この男が嘗て隊を組織した時、隊員が美貌かどうかということだけしか考えなかったこと、その隊を率いて見事な働きをしたことなどを話した。 セウテスが訊ねて言うには、 「エピステネスよ、君はこの少年のために死ぬ覚悟はあるか。」 エピステネスはセウテスに頸をさし伸べて言うには、 「この子がそうせよと言い、それでわたしに恩を感じてくれるのであれば、斬って下さい。」 セウテスが今度は少年に向かって、彼の身代わりにこの男を斬ろうかと訊ねると少年は、それは止めてほしい、二人とも殺さないで下さい、と嘆願した。この時、エピステネスが少年を抱いて言うには、 「さあ、セウテスよ、この子をとるかとられるか。今こそ私ととことんまで戦うべき時ですぞ。私は絶対にこの子を離さぬからな。」 セウテスは笑って、その件はそのままにして話を打ち切ってしまった。 英訳もあります(Project Gutenberg)。 http://www.gutenberg.org/files/1170/1170-h/1170-h.htm#link2H_4_0056 このバージョンだとセウテスが笑って去る間際に "what must be must,"って言ってるんですが、どの版を底本にしたのか…!?邦訳のものとは違うということしか現時点では未確認。 あとこういうギリシアとローマのホモセクシャリティ一覧にももちろんあります。 http://www.laits.utexas.edu/ancienthomosexuality/readindex.php?view=20
エピステネス=サガ 美少年=少年ムウ様 セウテス=アイオロス もうこうにしか見えない。 つまりなんですか、あれですか、 美意識高い軍団は仕事できる= 戦闘集団員同士の色恋推奨!? わーーお。 と、初めて読んだときはっきり思ったのを覚えています。 少年、右の落書きだとちょっと手が滑って幼くなってしまいましたが、もうこの少年は、エピステネスがたとえわけのわからないオッサンだったとしても惚れるしかないですよね、状況的に!この、美(自分の趣味=美少年)のためなら文字通り身を呈して救いにいく姿勢、素晴らしいの一言です。 この『アナバシス』歴史ジャンルに色分けされるのがおかしいほど私情にまみれていてなまなましくて楽しいです。松平氏の訳も格調高い。格調高いからよけいに際立つものが際立ちます。ギリシアの美意識素敵ですよ。戦いに備えてできる限り美しい衣装を纏うとかいうあたりも…。ギリシアの神や超越するものへの意識は美に集約されていくのがすごくよくわかって面白いです。 ついでにローマからもご紹介するとヨセフスの『ユダヤ戦記』の「雄羊」(しかも邦訳だと「」つき!ギリシア語では、Κριόςクリオスつまりアリエスですよ。)なので反応せざるを得ません。 「雄羊」は先端が雄羊の頭の形をした破城槌Battering ramで、文中にそれを使う描写があるのですが、 ローマの指揮官ウェシパシアヌスが「なんとしても陥落させたい」とそれを使う場面、こんなんです。引用します。 「雄羊」は大勢の男たちによって後方に牽引され、次に男たちがまたひとつとなって前方に押し出すと、先方突出している鉄のかたまりが壁に一撃を加えるのである。そのためどんなに堅固な塔やどんなに厚い壁も、最初の一撃に耐えられても、続けざまに打たれれば、それに耐えることはできない。(中略) 防壁は最初の一撃でぐらついた。中にいる者たちからは、あたかもすでに陥落したかのように、大きな悲鳴が上がった。 秦剛平訳『ユダヤ戦記2』、ちくま学芸文庫、2008(2002)、pp.57-58(3巻7章19節);http://www.gutenberg.org/files/2850/2850-h/2850-h.htm#link2HCH0003) ・・・なんかえろい。 と心騒いでしまうのはわたしだけでしょうか。ああ、もうここまで病気なんだなあと生暖かく読んでいただければと思います…。 まあ、史実はともかく、その「雄羊」=クリオス=アリエスに屈強な兵が何人も群がって力づくで・・・いえいえその、 そもそも絵的に異様にファリックだし・・・ええとビバ羊! 『ユダヤ戦記』も史料としてあまりに有名ですが、よく読むと衝撃波だけで人体の破片がキロ単位で飛ばされるとか何万人も死ぬとか誇張が激しくて、訳者である秦氏はクールに「誇張がみとめられる」と註を入れてらっしゃるけど、もしかしてローマ軍に関わってたのは聖闘士なんじゃあと思わずにはいられません(そんなわけないですが)いやあ、星矢世界での、歴史の裏側で動いていたっていう設定、無理がありすぎますが、スケール大きいですよね。 それにしても。
「陥落」って素敵な言葉です。誇り高くて意志が強いムウ様だからこそ 追いつめて、崩して、そのうえであんあん言わせたいのです。 そういう意味では相手は誰でもいいです。 すでに堕ちて我を忘れるほど快楽に酔い狂うのもいいですが、 その手前の落ちる落ちないのせめぎ合いも好きです。 たしかに相手は誰でも美味しくなる可能性はあるのですが、 心理的精神的かつ肉体的に追い詰めてギリギリまで翻弄してくれそうな 相手がいいなあ。 と、常々妄想してます。 151102 次の四コマ(多分10日後くらいに描きます)健全なんですけど、戻れるのだろうかこれで…。 |
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Gli amori difficili むずかしい愛
追記。 片想い萌えといえば外せない黒サガムウ。 油の本命なわけですが。 黒サガムウの場合は、想いを口にすらできない、それ以前に、恋心が自覚されることすら大問題。 ほんとうなら「好き」と思うことすらも許されない、 憎むしかない、憎しみしかありえない、はずの男。 っていうのが個人的には最強に最高です。 やっぱり片思い萌えの最も高いハードルとして、永別があり、宿命(仇)があり…と考えると相乗効果で美味しいです。サガの黒い部分は消滅してしまったので死別といっていいのか不明ですが。 ﹁も う 止 ま ら な い 君 の 首 を 甘 噛 み し た い 衝 動 ﹂ いつも好き放題やらかしてゆくのに、ふと、壊れ物を扱うかのように抱き口づける、 手負いの獣のように苦しげに顔を歪めるサガに どうしたらいいか分からないほどうろたえてしまう、まだ少しだけ幼さの残るムウ様…。
そして黒サガも、たとえどんな見事に恋に落ちたとしても、 絶対に絶対に、そんなこと言えない。 「好き」とか言えるわけないウワーッハハハ! ムウ様に会うときって余裕がないときも、疲れてるときも(側近に顔を見られたり【無論裸ならOK】サガが非協力的だったりサガが使えなかったり、あとは認めはしないでしょうが女神への畏れ)心弱ってるときもあるでしょう。 憎み続けるのも憎まれ続けるのもすごいエネルギーいると思うんですよね。 でもその(あの)テンションを貫いてしまったかもしれないところが彼らしく、一種の美学すら感じます。 情けは結局相手を苦しめる…そこまで考えていたか正直分からないですが、ムウとは敵同士、その距離感だけは意地でも崩さなかった気がします。あくまで油の妄想ですが。 ただ、たまにうっかり抱きしめてしまうかもしれない程度で。くどいようですが、油の願望(略) サガは死を以て罪を贖う覚悟はしていたようですが、黒サガも、地上をこの手に治めるってめちゃくちゃ本気だったと思うのです。そして前にも書いたかもですが、救世主になるってことは、そういう傲慢さと計り知れないストイックさもあるのだと思います。 「わたしこそがこの時代の救世主なのだ!!!」と言う限りは、いろんな意味で血塗られた衣をまとう覚悟はあったと思います。おびただしく流される犠牲の血、戦いの血、そして多分自らの血。 「世」を「救う」ということは結局そういうことなんだろうなあと思います。少なくとも、「力こそ正義」な世界では、力で手に入れたものは力で奪われる覚悟はしてたと思います。神になろうとした神のような男を倒すことができるのはやはり神。実際には神を奉じる少年たちだったわけですが。 このサイトの何かのテキスト冒頭で引用した(しかしタイトルすら思い出せない)ロマ書(ローマ人への手紙)7章が、文語訳になったとたんあまりにサガ(多分少年期)でのけぞりました。鮮烈な肉体の罪概念、教皇はもう別格として、聖職者=saint=聖闘士=セイントってもう出木杉でもはや奇跡としか個人的には思えないです。 (以下、適度にルビを外して載せます7章14-24節) 「我ら神のおきては霊なるものと知る、されど我は肉なる者にて罪の下に売られたり。わが行うことは我しらず、我が欲するところはこれを為さず、かえって我が憎むところはこれを為すなり。わが欲せぬところを為すときはおきての善なるを認む。さればこれを行うは我にあらず、我がうちに宿る罪なり(…)されば善をなさんと欲する我に悪ありとの法を我見いだせり。われうちなる人にては神のおきてを悦べど、わが肢体のうちにある罪の法の下に虜とするを見る。ああ、我なやめる人なるかな、この死のからだより我を救わん者はたれぞ。」 以上です。油は2008年(1887年)の書籍版から引きましたが、これを書いてて日本聖書協会のHPがあることを今さら気が付きました。http://web1.kcn.jp/tombo/v2/label.html興味がある方はご覧ください。あとは聖書といえばバイブルワークス。個人的に究極のオタクソフト(違)だと思います。http://www.bibleworks.com/これ趣味で買ったらある意味廃人だ、と思って手は出してないです。もうちょっと安かったら買うか悩んだかも。でも油が個人的に興味ある版は入ってないんですよね…。日本ではミルトスさんで売ってます。http://myrtos.co.jp/bibleworks.php しかしそれにしても至聖所で祈りながら「小羊」を「屠って」祭壇を血で塗っても、涜神にはならないどころか犠牲を捧げるのであるから正統なんですよね。いや、小羊=少年ムウ様、祭司≒教皇≒サガで読んでしまいほんとすみません。 ∴結論:師の仇なうえに敵同士になって、さらに死?別というハードルの高さですが、多分それゆえに黒サガムウが一番好きです。151026 |
「心だけだったら許してくれますか」(サガムウ今更片想い妄想)![]() …はい、油は実にわかりやすく、エビ中ちゃん(私立恵比寿中学)たちの曲だと「禁断のカルマ」が好きです。買いました。 タイトルみたいな台詞が嫌味でない、なにからなにまで素直に可愛いらしい曲です。 聞いてるうちに、サガムウで、めっちゃ片想いで、お互い真剣に隠していて、でも回りにはバレバレで、目があったらお互いそらす、的なそういう初々しい(サガ28歳というところが苦しいですが)恋もいいなあと。 書庫でサガが読んだあとの本をつい手にとってしまうムウ様とか、ムウ様が読んだ本に残る小宇宙をなぞるように文字を追うサガとか(エロ本じゃないことを祈る…いや、そうであっても構わないむしろそういうプレイ的な。でもほのめかしでもおいしいクセノフォンあたりの。)
それで続きを読むのがバッティングしてしてしまうとか、他の黄金聖闘士はめったに使わないかもしれない筆記用具の貸し借りとか…典礼の式文を読み上げるサガの声に聞き惚れるムウ様とか、 修復作業をする横顔を眩しそうに見いるサガとか、 稽古の組み技で二人当たってしまったときに、お互い内心とても気まずいとか ちょっとでも近づいてしまったら慌てて避けるようなことをして二人して後悔とか・・。 うん…ういういしくていいかもしれない! このさい28歳は忘れて…いや28歳だからこそこっ恥ずかしくてよいのかもしれない!! もう、好きなくせに互いに頑張って避けてしまう、とかたまらんです。 んで、気を許したときにふっと目が合うって最高です!!! 身体だけだったら許してくれますか的なものが跋扈してるサイトで何を言うかって感じですけどね。 うちのサガは酔った勢いでムウ様を視姦する程度でしょうが、拙宅の設定のムウ様だとそのうち我慢できなくなってカノンを喰ってしまい、カノンもわかったうえであえて乗って、ムウ様はサガの名を呼びながらカノンに抱かれる、とか、カノンもカノンで「サガの代わりだよな」とかいいながら捨て鉢になるとか、さらにそれをシャカに責めされながら言葉と精神技で追いつめられるとか、ボロボロになったあたりでデスマスクに足元を掬われ、シオンにとどめをさされるとか…ついうっかりそういう方向性にいってしまいそうです。…全然さわやかじゃない汚れきった大人ですみません。 ええといやいや、まあ、ええとなんといっても同僚ですからね。宮も近いし、聖域で会わないわけはない。集合のとき以外でもすれ違うことくらいはするでしょう。 「おはようございます」「おはよう」だけでも言葉を交わすこともあるから、絶対に忘れられない。 その後ろ姿を何も言うことができずに視か…いや、じっと、いやそっと見つめるってのもいいですよね! ここのとこの秋空があまりに美しく空気が澄んでいるから、そんな少しもの悲しい話もいいかなって。 互いに絶対に口にできない「好きという気持ち」。最高。 逃げようともがけばもがくほど深みにはまり傷が深くなってゆく、忘れることなどできない宿命。 やっぱりなんかさわやかな秋空から程遠くなってきたのでこのあたりで。 151024(26日、落書き追加しました。分かってましたが一気にギャグに。) |
![]() たしかに、愛するものたちだけが、代わって死ぬことを欲する (『饗宴』179b) だんだんTopの一行が一行でなくなってきてしまったのでこちらに。あれやっぱり初めて来られた人はびっくりしますよね。 でも無責任に好き放題書けるのは結構楽しかったりします。こちらもメモはもっとカオスですが、よろしければお付き合いください。 ええと…あまりにも久々なので何から書いていいか。書きたいものはたくさんあるのですが、とりあえず黄金魂については後ほど。 0.左の絵(シャカ)について 1.カレンダー企画様のサガムウについて 2.同企画様のサガムウ←カノンについて (シオンの慈悲、聖域の大丈夫は大丈夫じゃない) 3.ギリシア神話と教皇との接点(ヘンゲルの『贖罪』より) 4.シオンについて(サガムウ+シオンムウ=混ぜるな危険) 0-2は自分の描いた/書いたものについてうだうだ言ってて、3は妄想です。4が語りになるのかなあ。ええ、やっぱり全部妄言です。 0.左の絵(シャカ)について 夏も終わりそうなある夜、落描きしてたら自動筆記のように自然に浮かんできた、シャカです。まぎれもないうちのシャカです。黄金魂の聞き分けよさそうなやつじゃなくて、 ムウ様を愛してるシャカ、ですね。(愛してしまった、というべきか。あ、そんなのおおむねみんなそうか) 具体的には黄金魂視聴中8話あたりで出てきて、脳内劇場があったのですが、アニメのギャグのほうを絵にするのにかまけてしまって、 下描きもまだ終えないくらいでした。内容は、もっとも神に近い男の神聖衣姿に興味惹かれてうちのムウ様がアニメを視聴しちゃうという毎度しょうもないネタでした。笑。 この男も出てくると脳内の話が止まらないので要注意です。 拙宅ではずっと人が神に近いということはどういうことか考えています。そもそも神は人を遥か越えるもので、世界のあらゆる神話は神と人との隔絶を表すためにこそある、ともいえるでしょう。人でありながら神に近いということは存在論からして矛盾するものですが、車田世界だと八識、つまり神の属性である不死を獲得するか、そこまで行かずとも人の限界である死を乗り越えた領域に入るということで、そこに近づくのでしょうね。そのレベルにおいては超越した感覚の覚醒(=八識)といわゆる悟りとはあまり矛盾しない気がします。そして、絶対なものがない以上、悟りは相対(=個人・固有)を極めるしかないわけで、そうなると、もしかして人としての悟りの境地というのはその人の小宇宙と大宇宙の完全なる融合を目指すことなんじゃないかと思います。その追求のベクトルは、究極にまで燃え上がり外界に行くパターンと、どこまでも内面に沈下瞑想してゆくパターンと、真逆のようでいて、実はメビウスの輪のように双方の道はつながっているのではないか、そんなふうにふと考えます。 宇宙の最も微細な粒子ですら、重さがある、はかない物質であるということは、なかなか考えさせられますね。魂も物質だから質量を持つわけですが、死を免れながら肉体のなくした魂はどこに行くのか、どこまでどこに存在するのか、まだまだ考えはぐるぐるしてます。(そしてあまりに意味不明な文章だったので20日夕方少し直しました。それでも分かりにくくてすみません。) 1.À mon seul désir:カレンダー企画様→□のサガムウについて(油個人ページ→■)(制作当時のメモから雑感) ええと、サガとムウ様がいつもよりすんなり和姦じゃなかった、和解してる!と自分で描いて驚きました。あまりにひさしぶりだからでしょうか。サガは「分かっている」と言ってましたけど本当に何をどこまで分かっているのか、不明です。実に怪しい。 いや、実は黄金魂見て、サガってかっこよかったんだよなあと再認識!(遅) そしてなるべく、できる範囲で、かっこいいサガを目指してみました。 なのでいつもの傷つきやすい変態な成分は多少なりを潜めています。 ムウ様もなんと、何の勢いか、シオン(とその無理難題)をクリアしてましたよ…! シオンが引くって・・・・本サイト初です!おおお。自分で描いてびっくりです。なんかちょっと花嫁の父風味になってますが、一種のお祭り用のお祝いですね。 しかもなかばヤケ酒って!と自分で描いておいて二度びっくりです。それもある程度計算のうえではあるのですが。 あの、どんな酒を出しているのか謎な、聖闘士御用達の酒場は、聖闘士でも酔っ払える酒が入手できるということで シオンもお忍びで出かけているとかいないとか、昔(いつだ)お世話になったとかならないとか。 多分普通の人が飲んだら血を吐くとか肝臓やられそうな液体売ってそうな感じのとこです。 シオンも嫉妬とはいわずも…さすがにムウ様の腹が座ると面白くないんでしょうか。ね。 seul désirはそのまま、唯一の望み、唯一の意思で、全てを捨てただ一つ終わりのときの近さを願う、そんな感じです。ちょうどアニメがどんなふうに最後を迎えるか全く謎だったので、もう二人が一緒に戦えるだけでももう!幸せなんじゃないかなっていう感じで描きました。 油の脳内ではもう二つ三つ、サガムウ関連で昼メロ的四コマ、別れる別れない、白が黒だのぐだぐだ漫画があったのですが、昔のテキスト(『白黒つけてやる』あたり)の焼き直しのような気もするし、自分の中で話が決まるともうなんかもうとりあえずいいかって感じになってました。 こちらは急がないので気が向いたら描きます。 2.Spring/Kill me Later:同企画様のサガムウ←カノンについて(シオンの慈悲、聖域の「大丈夫」はぜんぜん大丈夫じゃない) ええと久々に書いた(2年半ぶりくらい!)テキスト→→■について当時のメモから少々。 もうこちらにいらしてる方にはお付き合いいただいてしまったのですが、最初はカレンダー企画様にできれば再度参加すべくで漠然と双子羊が頭にありました。 双子羊は今のところえげつない3pとか復讐話ばっかりだったのでもうちょっとさわやかな、いやさわやかじゃなくとも人様にお見せしてダッシュで逃げ隠れしないですむレベルのものがあったら参加できるなあと思ってました。しかし怒涛のようなアニメと地味な締切の波とで藻屑と消えておりましたところ、9月20日に某千葉の某万博にいってきて、踊り狂ってきて、ようし、やさぐれたさわやかさはこれだ、っていうか 楽しかったぜ的なノリで、なんとかサガに「エンジェル☆」と言わせたくて半ばノリで書き始め、最後までノリで書き終えました。 途中だいぶこじつけましたが、あれも全て歌のフレーズをいれるためだけのもので。最後のまとめは献血ネタでギャグでいいかと思ってたんですが、なんかしらないうちにシオンに教皇宮につれていかれ、しらないうちにああいう話になってました。 ええと全然あとがきになってないですよねこれ。ほとんど犯人の自供ですよね。しかも心神喪失状態でした的な。まあ、油のものは毎度そんな感じです。テキストはキャラ一人称の場合は半ば憑依状態で書いてるので、わたしにはコントロールできないところが多く、あれよあれよというまにシオンの「お仕置き」が始まってしまいましたよ。 でもまあ、聖闘士ですし基本的にはあまり再起不能にはせず、ま、死にはしないだろ、くらいで聖域はなんとか回ってるんだと思いました。 別にわたしが拷問ネタ好きなわけでもなんでもないですよ。ただ、サガは相当なことをされないと気が済まないだろうなあということでぼろぼろになってもらいました。ハーデス編でも思いましたけど、ボロボロになっても別のかっこよさがあってこまる男ですよね。冥衣から覗く肩とか…。はい、あの双子を受けにしたい人の気持ちもすごくよくわかります。あの話はあの話でサガムウで書いたストレートなハッピーエンドです。 うちのサガとムウ様もあれ以来もうずっとしばらく二人の世界で、描いてはいませんけど、それはそれは幸せな日々でした。 過去形なのは、幸せすぎてトップに書いたように若干暴走気味な気配(現在の感じ:落書き途中)→■もするからです。この後脳内劇場に発展し、転々とし、今は下書きでは 凄い不思議なところにいます。またこれも時間があったら追って上げます。 ちなみにSpring/Kill me laterは油が好きなRammstein - Spring (Kill me later)とかわいい恋愛映画Kill Me Laterの組み合わせです。古い映画ですけどちょっとカノンムウぽい!ネタバレなんで一応消しますが(すみません、ちゃんと消えてなかったですトレイラーにもあるからよいかな、とも)"Promise you, I’ill kill you later”という場面とか本当に、その場の取り繕い方の柔軟性が素晴らしい。二人とも脛に傷ある感じなのがなんとも。油にしてはめずらしくほんとに可愛らしい映画です。ラムシュタインは変態親父バンドなので、おすすめできません。PVだとSonneくらいか…わたしは以前四コマでもタイトルにしたRosenrotが大好きなんですが、あれとっつかまりますね。 3.ギリシア神話と教皇との接点(ヘンゲルの『贖罪』より) ギリシア神話や十二星座が古代異教のものとしてもキリスト教ヨーロッパで受け入れられていたことは良く知られていることですが、実はギリシアローマの伝統( しかも英雄崇拝系)と、原始の、それゆえもっとも根幹に近い部分のキリスト教とがかなり濃密に混じり合っていたといえることを、つい最近(二年くらいまえ) 知りました。M.ヘンゲル著、川島貞雄、早川良躬訳『贖罪-新約聖書におけるその教えの起源』、教文館、2006もとの書籍(論文)が出たのは1980年M.Hengel,D stellvertretend Sühnetod Jesu. Ein Beitrag zur Entstehung des urchristlichen Kerygmas(webでも読めます)ドイツの碩学ヘンゲルの小さな、しかし刺激的な著書です。(詳しい方や信者の方には寛大な気持ちで油の愚考お読みください。) 専門分野に特化し、深化し、詳細な領域分けを前提とした学問形態は20世紀の後半においてもやはり主流を占め、新約聖書研究でも、その構成要素を、ユダヤ的、ギリシア的、ヘレニズム的 といった諸要素に分けて研究されてきた過程が長いらしいのですが、ヘンゲルの論稿は、簡単に言えばその分類、類型化の前提を疑い、それぞれの重なり合い混交した共通理念を原典 資料から読み解いたものでした。とくにその前半部分にギリシアとの共通点が列挙されていたのですが、星矢的にまとめると、国家(都市)、信仰、愛、哲学、宿命、友、それぞれ のために命を捨てるということ、そしてときに特定の人物が身代わりになり、あるいは進んでその命を差し出すということが一種理想化されていたこと、古代の半身ともいえる英雄崇拝と、死に赴いた英雄の神格化がその追随者にまで及ぶことが書かれてました。 少なくとも、アンティオキア、コリント、エフェソ、ローマにおいてはキリストの贖罪死という概念が、もちろん部分的ではあるのだけれども、 受け入れられうる下地があったことが語られています。以上の箇所はキリスト教の贖罪教義を確立したパウロが伝道したところであり、 そしてその最終の地ローマは殉教の地であると同時にその神学教義を完成させた書簡の宛先でもあったのです。 そして、のちに教皇となるペトロの教会があった場所…ということです。ざっくりとまとめるとこんな感じです。ざっくりすぎた感甚だしいですが、つまり、「意外に重要な場面でギリシア神話世界に教皇」はそこまで突拍子もないこと ではない、ということが分かり、驚愕してます。 もしかしてこのようなメジャーな人の本、わたしが不勉強で知らなかったかもしれず、恥ずかしいのですが、昔は 、「ギリシアなのに教皇??なんでだ、教会、その割にメテオラやらアトスなのに正教会ではなくて(でも原作の聖堂や十字架はちゃんとギリシア十字風)なんで カトリック、これまぜたらダメだろう」くらいにしか考えてなかったのです…。 贖罪というテーマもサガムウでは外せないので、たまにこういう本を読むのですが 、今回、ギリシア神話の英雄たちがみな誇りに思いながらその命を終えてゆく様の抜粋に読みふけってしまったのは、きっとどこか心の中で、黄金魂の彼らもまた 、満足してその生を終え、輝かしい死に向かったに違いないと思いたいからかもしれません。 4.シオンについて (サガムウ+シオンムウ=混ぜるな危険) このお方に関してはいかなる考察も断片的なものに過ぎないと思います。 何の準備もせずに意味のある言葉が書ける気もしないのですが、今頭にあるシオンについて、少し。 というか今脳内でこのお方の面積が拡大していてちょっと困った事態に。笑。 なので本当は新しいうちに黄金魂についてまとめたいのですが、まずはこちらから。 そもそもが。まずサイトではあたりまえに生き返り設定になってますが、シオンはたぶん、生き返るという選択肢があったとしても自らは放棄しそうな気がします。 (ムウ様がいたら違うかなあ) 本当に誇り高い、孤高の人という感じがしますし、彼もまた自らの役目を終えたと思えば その魂は今度こそ安らかに眠りたいのではないかな…など思います。 (それでもムウ様がいたら違うかな。シャカもそうですが、ムウ様どんだけ生きる理由になってるか、 うちのサイトではとりあえずシャカは煩悩のために自ら再びの生を選び、 サガも自分では贖罪といってますが、自覚ないだけでシャカと同じです。 ちなみにカノンは一も二もなく、生きられたらラッキーという。デスマスクあたりと同じですね。) 原作では黄金聖闘士たちはあのようなかつてないほど悲しく美しく誇り高い終焉を迎えて、あれ以上のかっこよさはないと思うのですが、 それからどうなったのか、彼らの理想形はどんなものなんだろうか、彼らの意識はエリシオンなのか、聖域なのか。 そう思っていたところの、NDの嘆きの壁の人々ですよ。さすが御大、彼にしか描けない昇華だと思いました。 素晴らしいです。友は友と、その面影を視界に収めながら、永久に輝き続けている…。 腐的に考えても、自分の愛する相手を視界の隅に、あるいは視界に入らずとも気配や小宇宙を感じながらいられるって まさに星座として空に上げられるかのごとくの恩寵のように思います。 そんなわけで、黄金魂はまた別物として、黄金魂の最後の漫画ができたら語ろうかと思います(遅)。 文字にしてしまうと本当に満足して描かないでいいかってことになってしまうので(アホなのです)。 話がずれました。 ええとwebに再録したSweet Child'O Mine(シオンとムウ様)→■の続きをちょっと考えてみて…メモ=メモ、ナレ=ナレーション笑。ほぼテキスト下書きこんな感じです。 うちはサガムウ、しかも黒サガムウ前提なので、そうですね。ちょっと妄想…。 前提:その夜、威勢のいいことを言っていたムウだが、結局泣き疲れて、安堵し、シオンの傍らでうずくまって寝てしまった。まるで7つの頃と変わらぬではないかと、シオンは笑んだ。朝、腕の中にいるムウの寝顔は汚れを知らぬ乙女のような清らかな調和に満ち、長い睫やまるい頤、小さめな唇に昔の面影をとどめていた。シオンは美しく成長した弟子を満足げに眺めた。白い夜着の少し寝乱れた合わせから白い太ももがのぞく。 メモ(このあたりにシオンの「気まぐれさ」をいれる、要考察) ナレ(ムウ様のうちももを撫でるシオン、おもわずビクリと反応してしまうムウ様) シオン「…知った身体か」 ムウ様「うっ…それは…」 シオン「フッ…誰だその幸福な男は」 メモ(ここまであくまで余裕のシオン) ムウ様「お…お許しください」 ナレ(ムウ様の反応で全てを悟るシオン。笑顔から一転、無言のまま激昂する。あまりに激しい怒りにあたりの壁や花瓶、衝立のガラスが全て割れ、寝台の幕が割けまくる。おそらく常ならば抑えたであろう怒りも、限りなく一人の男として愛弟子の肌を愛していたゆえに爆ぜた。その怒りの矛先はおそらく己のふがいなさにも及んでいただろう。追いすがるムウを残し、教皇宮から下がろうとするとすでに宮の前にはその男が跪いていた。) うわ、自分で描いても血の雨が降る展開しかこなそうな予感です。 血の雨どころか、もしサガ黒が幼いムウを無理矢理ヤッたのがバレた日には世界が終わりそう。 もう「盆回り」が流れ人類滅亡モードでもおかしくないですよ。 …これは難しい。ちょっと考えてもムウ様にふざけて白状させるシオンとかムウ様をいじめてトラウマ引きずり出すシオンとかしか思いつかない。そして無理矢理であるなら、サガは絶対に許されないし、合意なんてことがあったら…やはりムウ様も許されない…うん、個人的にめっちゃ萌える設定なんですが、これ、大変だ。 サガムウ同士の某様のお話ほんとに回転しながら読んでますよ最高ですよ(こんなところですみません)。 しかしこれシオンムウの人はどうしているんだろう… …あ、もともとそんな危険物=サガムウ、は混ぜないか…! 拙サイトは今はシオンは師父モード、あったとしてもムウ様から「お情けを」とでもいかないと、たとえ言ったとしても、まだまだ相手にしてもらえなそうで、うちのシオン様手ごわすぎて悩ましい。 やっぱりですね、以前書いていた、妄想前聖戦話=『妄』の設定をかませないと無理だなあと。 泥酔シオンとムウ様の、たかだか3コマくらいのやりとりを描きたいがために始めたインチキテキストですが、気が付いたら長く。それも自分で結論出して以降凍結してますが…。 いやあ、お酒最高ですよ。さすが神の飲み物。人間どもよ狂い酔いしれるがいいっていう…。シオンにもせひいい感じで酔っ払ってもらって 「師匠を酔わせてどうするつもりだ」 とか何かのCMかなんかであったような殺し文句を言わせてみるのもよいですね。シオンがムウ様によろめくきっかけ、考えるだけでもよだれが出ますね。 でもまあ、やるなら別軸で。サガムウとシオンの組み合わせは本当に業が深くて素晴らしいです。シオンが怖くてうかつに手が出せない感じ。どうも、シオンを妖怪もとい神様のように考えている節があるのですが(私が)シオンムウの神様のたたりとしか思えないような出来事が最近降って湧いたようにあるので、あながち間違いでもないかもと思ってます。具体的には何かというと、シオンをたばかるカノンのテキストを書き始めたとたん、数年に一度の風邪をひき、何をやっても治らず長いこと苦しんだのですが、あの形でシオンの名誉回復で書き終わったらすぱっと快癒したという笑。その他こまごまと人間関係、とくに油のリアル師匠が晴れ舞台に紫苑色の服を召されたりとかどういうわけか偶然にも御髪が緑色になられたとか細かい不思議な偶然が重なってます。いったい何が起こっているのかわたしにも良くわかりません。
最後オマケ、載せる場所がないので、8月9日ハグの日のデスマスクとムウ様。桶さんに「これハグww?」と言われましたが、ハグです。いやーデスマスクもう昇天寸前じゃないですか。微笑ましいことです。その日の夕飯は突然ながら蟹缶でした。20151018 追記:その後ツイッタ―?に全く同じ発想のデスムウがあったとか伺いました!ツイッターは、わたし流されやすいので絶対仕事しなくなるので見ないようにしてるのですが、そう、デスマスクに容赦ないムウ様いいですよね〜!と同じこと考えてる方いらっしゃるらしいのは感激ですね。 ちなみにこの蟹は抵抗してるようですが、すでに右の頸動脈を決められているので、あとムウ様が手首をキュッとひねれば黄泉平坂にはいかないか、気持ちよく失神ですv蟹は戦いにおいてはヒールになれる反面、プライベートではえらぶったり細かかったり根に持ったりするくせに、それだからか、情が深くて打たれ弱くて一番肝心なとこで甘え下手なような幻想を抱いてしまいます。照れ隠しや本気の舌打ちしながら付き合うイメージ。ゲームの地団駄蟹があまりにかわいかったので、つい。(20日追記) |
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それは通り雨のように突然に
どうも油です。トップでもうだうだと書きしましたが、今日は一日仕事をサボって桶さんちで黄金魂見ました。 そしてわかりやすく仕事も睡眠もままならず、メモを書いてる次第です。。まさに前頭葉機能がストップってこのことですね。 以下、ネタバレにならない程度にお話します。 突っ込むところは山ほどありますよ。それは。 でも、一周も二周もして、別モノと楽しめるくらいにはわたしも老成しました。多分昔だと、北欧の古文書がどうとかそこから否定してたかと思いますが、さすがに車田に突っ込んだら負けです。桶さんと一緒に突っ込みながら楽しく見られたというのも大きいです。 …さて、ムウ様かわいい、超絶かわいいのはもちろん想定内でした。相当覚悟してました。 でもやっぱりかわいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!存在そのものが可愛いすぎる、もう、もう、もう・・・・ わたしは桶さんちでなかったらちゃぶ台にダイブして卓上で奇声を上げながらのたうちまわっていたことでしょう。わたしの灰色の脳細胞がすべてショッキングピンクになりましたよ、本当に。 そしてやっぱり戦うムウ様最高!!!!!!! 作画とか服の趣味とかを気にしてはならない(笑)ことはもういいとして(野球選手のファッションセンスとかどうやら凄い個性的みたいですから、やっぱり男のおしゃれ感というのは個人差が激しいのでしょう。)、そんなこと言う自分もそんなにどころか、全く描けないですしね。そうあれです、「記号」として見てます。聖なる記号です。オーソドックスの人たちみたいに、イコンとして崇拝し拝み倒せばよいのです。イコノクラスムの詭弁ではないですが、 そして萌えの想起はその裏側にある真の実体を想起すればよいのです!!!実際宗教系だと、下手なほうがありがたい対象を想起する力が湧くのでよいとか、素朴でよいとか、画力という己の力を誇示せず謙虚に神を受け入れるというところにつながっているそうです。エックハルトの離脱abegescheidenheitあたりと一緒で、無になって形すら捨てるということですよね。 そして現在叫ぶところはとりあえず、 サガかっこいい!!!!!!!! サガがめちゃくちゃかっこよくて惚れ直しました。 いやあ、やっぱり聖闘士は戦ってなんぼですよ!!!!! あのハーデス編のプレッシャー(背後にシオン、正面にムウ、アテナの自害)を 乗り越えたらもう他に怖いものなんてないですよね。 サガ卑怯なくらいかっこいいです。知ってましたがそれでもずるい。 ムウ様がその強さに惚れても…しかたないかなあ。なんて血迷ったことを考えます。 やっぱり、男が男に組み敷かれるからには、そして力こそ正義の聖闘士の中ではそんな変な憧れがあるのです。わたしの間違ったギリシア文化理解だと強さこそ、そして美しさこそ神の祝福以外の何物でもないのだから、 デスマスクは…甘口でした。笑。まあ、年相応かもですねえ。でも全体的にシナリオは結構よくできていて、作画はよいけど、内容がない、などということもなく、普通にわくわくします。というかわくわくしないようにしているのにわくわくが湧く湧く…顔解ける;ほんと解けるこんな顔では人前に出れない以前に外出できない。とりあえず頭が使いものにならなくなっているあたり支障でてますよ。 うん、二週間に一度もなんとかすれすれかもしれないですが、やはりその後の回復が年単位でかかるかも笑。まあでも”IF”ストーリーの一つとして楽しみます。動いて声があるって本当に素敵です。 どうしよう。山のようにまだある仕事の書類をなんとかしないと何にもならないのですが、とりあえず、 いやでも、仕事といってもそんなにたいそうなことをしてない割に、わたしが要領悪くてアホなせいで、時間がかかっており、ここ数年を振り返ると「やっべええネタ消化する前にわたし死んじゃうよ!?」と割と本気で思いました。人生の残り時間を真剣に考えないと、今の仕事のペースでも早死ぬよねって思ってましたがいやあ…。 自他の原稿やら原稿やら原稿で苦手な文字に囲まれてヒイヒイ言ってたら…気が付いたら数年経ってましたよ。ですよ。 そうそう、映画も見ました。あれはあれでアリでわたしは面白かったです。でも萌えの心はすべて笑いと燃えにもっていかれました。ムウ様超遠視、サガは…規格外すぎてどこからつっこんだらいいのか途方に暮れるレベルでまさに車田を 継承してましたよ。これはもう、星矢オタク仲間で突っ込みながら楽しく真剣に見るのが一番ですね。 ムウ様のお誕生日あたりはインドネシアのスラウェシ島のトラジャにいたのですが、「二股眉毛」の人を見ました。20代と思しき男性でした。「知り合いなの!?」って友人に驚かれるくらい見ちゃいました。向こうも驚いてました。すみません。でもあんなにナチュラルな二股眉毛の人は初めてで、衝撃のあまりキグナスダンス踊りだしそうになりましたもの。いやあびっくり。あと水牛がたくさんいました。空港から車で10時間くらいですか、独自の墓文化なのですが、白骨人骨放置状態の山里って冷静に考えたらとってもジャミールっぽかったです。 20150620 |
「星々と花ざかりの果樹。完全な恒常性と極度のはかなさは、どちらも同じように永遠の感覚を与える」"Étoiles et arbres fruitiers en fleur. La permanence complète et l'extrême fragilité donnent également le sentiment de l'éternité."Simone Weil ("La pesanteur et la grâce")
田辺保 訳、筑摩書房, 1995,原文はhttp://bibliotheque.uqac.ca/より
春になると、とくに啓蟄を過ぎ桜の花の便りが届き始めるころとなると、ハーデス編のあの夜の戦いをいつも思います。久しぶり(十年単位ぶりくらい)でシモーヌ・ヴェイユなど読んだら、その純粋さと自己を捨てきって神に対峙する姿勢がシャカっぽいなあと思いました。彼女の残した宝石の欠片のような(それゆえに刺さると痛い)言葉をすべて理解することなどとうていまだまだ無理ですが、さすがに小僧のころよりは、ああ、そうかと思うことがあったりなかったりしてます。しかし無神論ですらも、神の有無が前提であるというキリスト教社会の桎梏は手ごわいですねえ。そんななかでも、その絡まり具合がゲルマンとラテンではだいぶ違うなと数年思っていて、これが、サガムウ、ラダムウ(出身はイギリス文化圏だと勝手に思っている)やデスムウ(南イタリアどまんなか)、そしてやはりサガムウあたりに反映できたらいいんですが、まだまだ。 サガといえばネタは二つ。 まず、シモーヌで、「神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の為には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る」(文語訳) 新共同訳だと「ローマの信徒への手紙」8章28節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」) この「凡て(すべて)」に「etiam peccata 罪でさえも」と註釈をつけたアウグスティヌスについて触れているのです。それなので孫引きもいいとこですが、アウグスティヌス!て、油はそんなに詳しくないですが、 キリスト教に情念をぶちこんだ(と思ってます)アウグスティヌスが、言う、「罪でさえも」の重さ。パウロしかり、若いころやんちゃをしてからの回心というのは非常に心惹かれるものがあります。個人的な意見ですが、この「罪」を預けられるかどうかが、ある種の人々にとっては救いのために非常に重要なのだろうなと思います。許されたいという気持ちと、許されるべきでないという気持ちと、もっと進めばそれは自らを罰したいという気持ちと、罰することによって救われたいという気持ちにたどり着くのではないのかな。と思うので。シモーヌはエゴイストになることは難しいと言っていましたが、究極のエゴイストと、求道は表裏一体なのは興味深いです。すべてを捨てて、神のもとに走ることと、蒸発することとは傍目には同等の行為に見えるものですから。 その罪。サガは、あのギャアアアがもし憑依かなにかだとしたら、至極ギリシア的に、つまり、他(神・悪霊その他のはからい)からの影響で罪をこうむりながら、ユダヤ・キリスト教的な贖罪やら善悪対立に悩んで(なんといっても教皇だから)、日本的に解決したということになるのかなあ。そんな分類は置いといて。 「サガ流し」 先日ふと目にした本『日本人はなぜ無宗教なのか』阿満利麿(よりによってマロか…)氏著1998(1996)筑摩書房(ちくま新書085)「サガ流し」 (原文ママ)という項目があり、ちょうどお正月頃、信州で行われるらしいのですが、柳田国男の文章を引用して、こちらも孫引きのうえに間違ってるという感じで恐縮なんですけど、さらに紹介すると(pp.122-128)その定義は「サガは昔から善と悪と文字にも書いて、とにかく問題になるということを意味している」(『定本 柳田国男集』第24巻、p.439。) それゆえに流されるという行事が紹介されていました。阿満氏は柳田の別の著作も引用し、 「サガは古くから善悪の文字などが宛てられ、よかれ悪しかれ物議の種、今でいえば問題になる事件ともいうべきもの」(柳田『年中行事覚書』、定本13巻、p.90)と、定義づけてます。いやあ、これを見た時、なんともいえない言霊的な呪縛をあのサガに感じました。 そして某Tさんとウケていたところ、彼女より、柳田よりもその辞書のほうに問題の確信があるとの指摘を受け、さらに確認してみたところ、 小学館の日本国語大辞典(1972年初版、2001年第五版参照)によれば、「サガ」という言葉そのものに「善悪」という意味があるようです。とくに「性」「相」の漢字を当てられるほうは、第一義が「生まれつきの性質、初出は大和物語(947-957年)八段「おほさはのいけの水くきたえぬともなにかうからむ”さがのつらさは”」(大沢池はご丁寧にも右京区嵯峨。さらに「さがのつらさ」で文脈的には一夜の逢瀬を歌ってます)、第二義が「持って生まれた運命、宿命」第三義が「ならわし。習慣。くせ。」そして第四義に「良いところと悪いところ。人間の善悪。また、特に欠点・短所・悪癖」、善悪と書いて、「さが」とも読まれていたようです。例文の中には、浄瑠璃「嵯峨天皇甘露雨(1714年)「然るに悪の字をサガとよむ訓あり」とあります。 解説もふるっていて、「本来は、善・悪とは無関係な意味の語であったが、その激しさや人間にはどうにもならないものという性質から、諦観に通じる否定的文脈で用いられることが多く、悪い意味としての用法が顕著になっていったと思われる」(これに対して、しるし、きざし、という意味の「さが」は祥、前兆などの字が当てられ区別されています。 同書は1365頁から1366頁にかけて「さが」の項があり、佐賀や嵯峨、嵯峨、地名や魚の名前など挙げられています。) …いやあ!車田御大がどこかで、物語という意味のサーガがもとだと語っておられましたが(出典不明、アニメスペシャルか何か)、それとは別に日本語の意味にこのような文字通り宿命的な意味があったとは!「さがのつらさ」というのが初出というのが個人的にはツボで、現代にも脈々と続く、いかにも日本的な男泣き、義や公憤、悔悛のための滂沱の涙を流す「つらさ」…これは、自分のために流さない、涙ですよね。自分の力ではどうにもならないいかんともしがたい「つらさ」、これは大局的には「悲」に統合され、死すべきものたちの悲しみとなり、これを神仏視点でみれば、慈悲に変わるのでしょうか。腸ちぎれるって原義のギリシャ語、ス…以下のメモが判読できませんが(あとで原典確認します)、そういう、体にストレスかかりまくりなほどの苦しみなんだと思います。 ギリシア人の腹には悲しみが詰まっているとはその方に造詣の深いある方の指摘ですが、ラテンつながりで、最近目にしたこの文章。 「俺たちスペイン人ってやつは、朝はミサ、昼は闘牛、夜は淫売屋ときてる。いったい、何を通してそれが混ざりあえるかって?哀しみだよ。おかしな哀しみさ。修道院(エスコリアル)にあるような。だが、俺は愉快な男だろ?」 A.マルロー、岩崎力の訳参考、『黒曜石の頭:ピカソ・仮面・変貌』、みすず書房、1990年、 Nous, les Espagnols, c'est la messe le matin, la corrida l'après-midi, le bordel le soir. Dans quoi ça se mélange? Dans la tristesse.Une drôle de tristesse. Comme l'Escurial. Pourtant, je suis un homme gai, non ? "... スペイン人もそうか(この点、ピカソだけが特別というほどでもないような気がします)。イタリア人もそうなのかな。 このあたりのセリフはむしろデスマスクあたりがいいそうな感じ。うまく言えませんが、拭い去れない哀しみ、常に紛らわせていないと増大し、喰われてしまいそうなあらがえない哀しみ。笑いだけが救いになりえるような状況、たとえそれがこわばったうわべだけ笑いであったとしても、そんな背景が横たわっているのかもしれないと思いました。ああいう、色事にだらしないように見えて、いかんともしがたい引力を持ってる男というのは、やはり狩人よろしくその時々は本当に真剣なのだからなのかなあなどと思います。もうイタリア関わるとデスムウ描きたくてー!デスマスクの葉巻?とかすかな香水(Acqua Di Parmの海のやつあたり)の交じった背中にそっと触れるムウ様とか、もー何度でも妄想しますよ。イタリアの夕暮れは、少しピンクがかって見えるのは、わたしだけではないはず!!! 南イタリア、スペイン内戦、パルチザン、オスマン、兄弟殺し…久々にカザンツァキでも読もうかなと思います。今なら少しはいろいろ変わるかなあ。 余談ですが、ナポリの東洋研究所前のバールで飲んだカフェは軽い酩酊を覚えるくらい美味でした。グラッパを思わせる強さと奥深さ。イタリアに行くたびに食の驚きがありますが、あんな官能的な国に住んでいたら仕事にならないのではないかとたまに本気で思います。 今年も4月から7月くらまではもしかしなくても浮上できるか不明なのですが、できたら過去のログも上げていければいいなと思います。思ってはいます。 あまりにも多方面に不義理をしております。大変恐縮ですが、気長にお待ちください。 20150320 |
「分かちがたく結ばれた二羽の鳥が同じ木に住まっている。一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない。」
…ちょっとシャカとムウ様っぽいかなあなんて。もちろん、果実の甘い快楽を貪っているほうがムウ様です。(ムンダカ・ウパニシャッド(第一カレダ・シュルーティ.1)邦訳は豊崎光一、ル・クレジオの『物質的恍惚』より。) ええっとさてさて、だいぶながらく放置してしまいました、メモです。 冬春休みは充電してきましたよ〜。しかしながら今年度は思いのほか雑務が多くて目を回してます。なかなかサイトに浮上できず残念です。 2月はシャカムウのお祭りに空気も読まず出てしまい、PC環境になく、企画の方々には携帯から色々と大変にご迷惑をおかけしました…。 本当にいまさらながら、関係皆様に改めてお詫びとそして心から感謝です。ありがとうございました。 素晴らしい企画でしたのに拙作はあまりにつたない…ので正直ちょっとだけでも直したかったのですが、その暇もなくテキストに収納しました。そもそも日本語が分かりにくくてすみません。 海辺で戯れる二人でした。→■ シャカがムウ様を抱え上げるのはベルニーニのプロセルピナの掠奪っぽく…と思ってましたが、あくまでイメージで、色々全然別物です。ええ。でも掠奪系大好きです。 しかしところが妹の猫を抱っこしようとするといつもあんな感じに必死に暴れてくれます。愛してるのに切ないです。 さて、旅行…といっても仕事だったのであまり萌え萌えできませんで、年末年始のパリも友人宅で普通に生活してしまって、羊成分は低いので、そのうち油壺にでも、厳選してネタ写真を載せようかと思ってます。そんなことを三年前のシチリアのときから言ってるような気が。もう遡るのも面倒なほどに溜まってしまったので時系列無視で行きます。 ローマやフィレンツエ、ウィーンはともかく、プラハとヴェネツィアは、今思うと明らかに007『カジノ・ロワイヤル』に影響受けてましたね。よく企画が通ったというか、仕事でさえなければ贅沢な旅でした…。 そうそう、星矢的にはジュデッカ運河を散策しましたよ〜。ヴェネツィアは街ごとが非日常というか、劇場的というかハレの空間みたいで、ざっくり言うとこの世ではない感じが不思議でした。 本当に水って人間の感情を揺らすような気がします。ゆっくりと動く広い水面の圧倒的な量感が胸に迫ります。物理的に何か圧されるようにさえ感じるのは、もしかして体内の水分が反応してるのかな〜とも思います。早春のヴェネツィアは天気に恵まれ本当に美しかったです。あのキラキラと光る青緑の水面に飛び込んだら、そこは実は忘却の河の水が流れこんでいて本当に記憶が流れ出てしまうのかもしれない…なんて思いながらジェラート盛りをもりもり食べてました。 ガンジスはどうなんでしょうね。わたしはインドの感じはよく分かっていないないんですが、色々調べるほどにシャカの思想は日本的だなあと最近つくづく思います。ハーデス編の春の散華は言うまでもなく。
ハーデス編の処女宮でのシャカの独白は、最期に四季の移り変わりに着目したところが、例えば晩年の良寛の「春は花、夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」の境地に似たものを感じました。とても日本的。生々流転のその奥底にある、万物が繰りかえすという永続性は、おそらく永劫回帰のような凍りついた「永遠」ではなく、たとえば北極星のようにたまたまそこに不動に見えるものかもしれない。そういった全ての変りゆくものを景色の中に見つめるという姿勢。あのときのシャカには確かに、この世との決別という気持はあったと思います。 シャカのあの独白があまりに率直なので、昔はそこに二十歳らしさを感じて納得していましたが、実はもう少し奥が深いのかなあと。そしてあの台詞がいかにもすんなりと読めるということは、読み手である自分もまた日本人的な捕らえ方をしているのだなあと思いました。 あんまりにもメモをサボってしまったということもあり、…いろんな意味でとっっても恥ずかしいのですが、2005年のシャカとムウ様の『おかしなふたり』より自分の担当分を一部公開します→■ もうね、羞恥プレイは 最初はまさかの健全ブログになるかと思っていたのですが、女性向けも入れたほうがいいかなあなんて話しているうちに雲行きが怪しくなってきました。しかしまあ、拙宅にいらっしゃる方々は、すっかり大人でわたしの変態趣味をご存じとばかり思っていましたので、ついはっちゃけてしまいました。しかし今後気をつけて注意書き載せますね。 わたしのはホントに掌サイズの無印のメモ帖に下書きもせずに一発描き的な乱暴さで恐縮です。上手い人がやれば走り描きですら美しいんですけどね…。 しかし拙作、下心と萌えだけはあります!ってことで。色々見苦しいのは承知の上です。ひらにお許しください。 右はらくがきの没、左はメモに載せようと思って描いたもの。う…うん、大して変わらないですね。 130503 |